ニルヴァーナNirvanaは、1987年に結成された、アメリカのロックバンド。
1991年に発表された2ndアルバム『NEVERMINDネヴァーマインド』の驚異的な大ヒットにより、全世界にグランジ・ムーヴメントを捲き起こした。
ワシントン州のアバディーンでリードシンガー/ギターのカート・コバーンを中心に結成。
1980年後半のグランジシーンにて存在感を増しつつあったニルヴァーナは、1989年に彼らの最初のアルバムである『ブリーチ - BLEACH - 』をリリースした。バンドのメイン作曲者であったカートは、次第に"静かなヴァースと激しいヘビーなコーラスの繰り返し"というダイナミックな対比という手法を確立していく。
1991年に発表した2ndアルバム「ネヴァーマインドNEVERMIND」全米1位を記録、MTVではシングル「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット Smells Like Teen Spirit - 」がリピートされるなど、当時のアメリカ音楽界に衝撃を与え、ヘヴィメタルから一夜にしてグランジが新たなトレンドとなった。
ニルヴァーナを筆頭に、パール・ジャムやアリス・イン・チェインズ、サウンドガーデンなどのグランジバンドは新たな若者達のヒーローとして祭り上げられた。
カートはグランジのもう一つの人気バンドパール・ジャムを批判し対立する一方、本人は成功のプレッシャーからドラッグにのめり込み、自殺未遂や奇行を繰り返していた。最後の40日間でも、ドラッグの購入、自殺未遂などがあり、ついには1994年4月5日にシアトルの自宅にてショットガンで頭を撃ち、自殺。カートの死により、ニルヴァーナは事実上解散。
1994年4月8日、シアトルの自宅で薬物を服用の上、ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺しているのが発見される[10]。警察の報告によると、死亡推定日は4月5日。
遺書には、「観客からの崇拝をフレディ・マーキュリーのようには楽しめなかった」という文章や、親交のあったニール・ヤングの「ヘイ・ヘイ・マイ・マイ」の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away(だんだん消えていくより燃え尽きる方がいい)(錆び付くよりは燃え尽きたほうがいい)」が引用されていた。
1990年代を迎えた頃、グランジの隆盛と共にシーンの最先端で活躍していたニール・ヤングはカートが遺書でニールの歌詞を引用していたのを知って、打ちのめされたと語っている。
「Smells Like Teen Spirit」1991年。
ニルヴァーナの代表曲で、ビルボードで6位を獲得。
ソフトで静かな曲調からたたみかけるようなラウドでハードな曲調の転換を繰り返すことによる強烈なメッセージ性にシンプルかつパワフルなリフは新たな若者達のアンセムであるといわれ、驚異的な売り上げを示した。
カートは「Pixiesピクシーズからリフをパクって(元は“U-mass”といわれている)出来た曲」という。
カート自身はこの楽曲をいわゆる「クールな」若者たちを皮肉ったものとして制作しており、その意図が間違って伝わってしまったことに不快感を示し、この曲を嫌っていた。
当然ながらリアルタイムで聴いていて、名曲だと思った。新譜扱いから外れた頃に、アルバム「ネヴァーマインド」をレンタルして全曲を聴いて驚いた。「Smells Like Teen Spirit」の1曲しかまともな曲がなかったからだ。
この時点でニルヴァーナはダメだなと思った。
グランジも膝の破れたジーパンをはくだけのファッションであり、ロックの主流にはなりえなかった。