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メキシコ ベラクルス メキシコ湾の港市 コルテスの征服基地 

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ベラクルス。アルマス広場。2014年11月20日(木)。
本日の行程はオアハカからの夜行バスでベラクルスへ着いたのち、州都ハラパの人類学博物館を見学して、翌日の世界遺産エルタヒン見学のためパパントラの宿カサ・ブランチで泊まるという行程だった。夏頃の行程決定ホテル予約時点では、シーフードは美味そうだが、史跡に乏しいベラクルスは見学するつもりはなく、バスターミナルで乗り換えるだけでもいいと考えていたが、旅行前に増田義郎「古代アステカ王国」を読むと、アステカ侵略の拠点だったことが分かり、短時間でもいいので、港ぐらい見学しようかと気が変わっていた。
そこで6時半頃ベラクルスのバスターミナルへ到着後、ハラパ行き10時発の乗車券を購入し、それまで市内見学をすることにした。歩き方を参考に、ターミナルを通るセントロ行き市バスに乗車。ところが、町の中心へ近づいたときに反対方向へ走り出したので、運転手にセントロへ行かないのかと尋ねたら、ここで降りろと言われた。降りたのは公園だったが、そこがどこかはさっぱり分からない。周囲を歩き回って数人に尋ねて分かったのはここがサモラ公園だったことだ。アルマス広場まで500mほどで、歩いても知れた距離だった。
平日の8時前だったが、アルマス広場には制服を着た人々が集結して、何かありそうだったので、しばらく見守ることにした。
 
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ベラクルス。アルマス広場。
100人ほどの警察官などが整列して、音楽も交えたセレモニを行った。一般市民も大勢参加している。何のセレモニーかは分からない。
 
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ベラクルス。税関。アルマス広場から、歴史的建物である税関を見ながら遊覧船乗り場のある港方面へ向かった。
 
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ベラクルス港。
830分頃に埠頭のあたりに着いた。なぜかドイツ人の団体がやってきて、銅像群などを見ていた。
 
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埠頭からアルマス広場方向を眺める。
ベラクルスはメキシコシティのメキシコ湾側の外港としての役割を持つ、メキシコの主要な港湾都市の一つである。ベラクルス州の最大の都市であるが州都ではない。ベラクルス州の州都はハラパ
1519年コルテスの指揮するスペイン人征服者の船団が、ユカタン半島東岸コスメル島、タバスコを経て、ベラクルス付近のウルア島に上陸した。コルテスはメキシコ征服の拠点を確保するために、現在のベラクルスに相当する場所にメキシコ最初のスペイン植民都市を建設した。コルテスはこの拠点にラ・ビリャ・リカ・デ・ラ・ベラ・クルス(真実の十字架の富める町)と名付けた。ベラクルスは、アメリカ大陸で最初に議会の設立された都市となった。
コルテスはアステカ王国へ侵攻を開始し、北のセンポアラを征服後、西の高原へ進みハラパ、トラスカラ、チョルーラを経て、アステカ王国の首都テノチティトランへ向かった。
 
ヌエバ・エスパーニャ建設後、ベラクルスは大西洋岸側の貿易港として栄えた。アメリカで産出された銀や、マニラ・ガレオンの交易によって太平洋岸のアカプルコに運ばれたアジア産の製品を大西洋岸からスペインへ運び出す役割を担った。
メキシコ独立後、ベラクルスは1847年米墨戦争で、スコット将軍率いるアメリカ軍の包囲攻撃を受けて占領された。フランスからは18381861年に侵攻を受け、占領された。
 
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ファロ・カロンサ灯台。埠頭に面して建てられている。
 
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ファロ・カロンサ灯台。埠頭に面した広場では海軍の制服を着た数百人がパレードとセレモニーを行っていた。革命記念日に関連した行事なのだろうか。
 
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ベラクルス港。停泊する巨大な貨物船の前を小型船が通っていく。
 
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ベラクルス港。埠頭の先端からアルマス広場方面。中央はホテル。
 
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ベラクルス港。埠頭の先端に記念碑三人の人物像があった。
1914年のアメリカ軍のベラクルス占領に関連する記念碑だった。
1914年、アメリカの石油資本利権にからんだタンピコ事件が起きた。アメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領はアメリカ海軍をベラクルスに派遣し、メキシコのウエルタ政権による海外貿易を封鎖して懲罰すること企図した。
421日フレッチャー海軍少将が指揮するアメリカ海軍がベラクルスに上陸侵攻し、424日までに占領は完了した。その後ファンストン将軍率いるアメリカ陸軍によって1123日の撤退まで7か月間占領された。占領軍には情報将校としてダグラス・マッカーサーも参加していた。メキシコ政府は占領に対抗して、メキシコ国内からアメリカ人を追放し、第一次世界大戦において欧米側に非協力的な立場を取った。
 
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ベラクルス港。記念碑。左側の機関銃を操作する人物像。
海軍中尉ホセ・アスエタ(18951914)。マヌエル・アスエタ提督の息子。1914421日のアメリカ軍侵攻初日に負傷し、510日に死亡した。海軍の英雄として知られている。
 
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ベラクルス港。記念碑。中央の人物像。
マヌエル・アスエタ提督(18621928)。アメリカ海軍のベラクルス侵攻時にベラクルス海軍兵学校の生徒を指揮した。
  
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ベラクルス港。埠頭の先端。神戸・長崎のような山に囲まれた良港とは思えない。
 
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海軍歴史博物館。裏側の屋外展示。
 
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レストラン街「レフヒオ・デル・ペスカドール」。
海軍歴史博物館のすぐ北側の旧魚市場にある簡易食堂街。7時から営業しているシーフードレストラン。850分になり、10時のバス時刻と食事時間を考えると、時間に余裕がない。
 
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レストラン街「レフヒオ・デル・ペスカドール」。
早朝のせいか、30店近い店のうち、4店ほどしか営業していない。客もまばら。
 
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焼き魚定食。適当に頼んだ。120ペソ。コーラ20ペソ。チップ10ペソ。まあまな味だった。アステカ国王も食べていた名物のワチナンゴ(鯛)を頼まなかったのを後悔したので、のちに、メキシコシティーのシーフードレストランでワチナンゴを食べた。
 
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メニュー。ワチナンゴは時価と書いてある。
食事を済ませたら9時30分を過ぎていたので、タクシー40ペソでバスターミナルへ急ぎ、10時発のハラパ行きに乗車した。

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