延喜式。一条家本。複製。斎宮歴史博物館。
2017年5月12日(金)。
延喜式巻第五。神祇五。斎宮。
延喜式巻第五。神祇五。斎宮。
櫛と櫛箱。複製。
「別れのお櫛」。斎王は、京から斎宮へ旅立つさい、内裏の大極殿で天皇と対面する。天皇は「都の方に、おもむきたもうな」と声をかけ、斎王の額髪に櫛を差し、別れの儀礼とした。
餌袋。斎王群行時に斎王が所持した袋の再現品。
餌袋。
延喜式。伊勢大神宮式。版本。江戸時代。原資料は平安時代。
斎王のつとめは、伊勢神宮の祭りに参加することで、9月の神嘗祭、6月・12月の月次祭で、いずれの月も、外宮は15・16日、内宮は16・17日に行われ、斎王は2日目に参加した。
斎王は、太玉串とよばれる榊の枝に麻の繊維を付けたものを宮司から受け取り、神宮の瑞垣御門の前の西側に立つのが恒例であった。
この太玉串は、神の宿るもの(神籬ひもろぎ)で、祭の初めに神の来臨を招くものであった。斎王は天照大神を案内する御杖大(みつえしろ)の象徴とされた。
続日本紀。
神亀4(727)年9月の項に、聖武天皇の第1皇女・井上内親王(717年~775年。母は夫人県犬養広刀自、のち第49代光仁天皇の皇后となるが、廃される)が、伊勢へ群行したという記事がある。
同月、出羽の国に渤海使24名が漂着し、大使高仁義らが、蝦夷に襲われ仁義ら8名が殺害され、生き残った高斉徳ら8名がのちに入京した事件があった。
斎宮女御集。資経本。複製。藤原定家家に伝わった歌集。
斎宮女御集。資経本。
斎宮女御。
徽子(よしこ)女王。延長7年(929年)~寛和元年(985年))は平安時代中期の皇族、歌人。式部卿宮・重明親王の第1王女(醍醐天皇の皇孫)。母は藤原忠平の次女・寛子。朱雀天皇朝の伊勢斎宮、のち村上天皇女御。斎宮を退下の後に女御に召されたことから、斎宮女御と称され、また承香殿女御、式部卿の女御とも称された。三十六歌仙および女房三十六歌仙の1人。
斎宮女御。
三十六歌仙の中でも5人しかいない女流歌人の1人で、しかも唯一の皇族歌人である斎宮女御は、後の歌仙絵の中でも際立った存在感を示している。絵柄は数種の構図が知られており、高貴な身分を示す繧繝縁の畳に伏し美麗な几帳の陰に姿を隠したものが最も一般的である。現存最古の作品として名高い佐竹本三十六歌仙絵巻でも、束帯や華麗な十二単の正装に居住まいを正す歌仙が大半を占める中で、一人くつろいだ袿姿で慎ましく顔を伏せた斎宮女御は、いかにも深窓の姫君らしい気品漂う姿が華やかな色彩で美しく描かれている。なお、大正8年(1919年)にその佐竹本が切断・売却された際には、六歌仙の一でもある小野小町をも上回って斎宮女御に三十六歌仙中最高の価格が付けられたといわれ、益田孝(鈍翁)の所有となった。
原寸大の斎王居室復元模型(十二単姿の斎王と命婦の人形や調度)。
斎王居室復元模型。
斎王居室復元模型。
斎王御殿復元模型。
角盥(つのたらい)。再現した調度品。坂本曲斎(木工)、北村昭斎(漆工)作。
唐櫛笥(からくしげ)。再現した調度品。坂本曲斎(木工)、北村昭斎(漆工)作。
唐櫃(からびつ)。