バーズ (The Byrds) は、アメリカのフォーク・ロック、カントリー・ロック・バンド。
1964年にロサンゼルスで、ロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デヴィッド・クロスビーによって結成され、その後ベースのクリス・ヒルマン、ドラムのマイケル・クラークが加入した。
彼らは、ソロフォーク歌手やフォークグループに参加して演奏活動をしていたが、ビートルズの影響でバンドを結成した。
フォーク・ロック時代の名曲に「Mr. Tambourine Man」「All I Really Want to Do」「Turn! Turn! Turn!」。
いずれも1965年。
アメリカの音楽シーンは、1950年代末にロックンロールが停滞し、空白期となった。60年から64年まで、ポップスの主流はボビー・ダーリン、パット・ブーンらの白人で、若者たちの間ではフォーク、黒人ブルースに人気があり、モータウンも健在だった。63年ごろから、ビーチボーイズなどのサーフィンミュージックが流行しだす。
ビートルズは1963年初めにアメリカでレコードデビュー、1964年2月にエドサリバンショーに出演して人気が沸騰、アメリカの音楽シーンを転換させる大きな影響を与えた。
フォークが一気に衰退し、ギターのエレクトリック化、ロック化が始まった。
バーズの創設メンバーであるロジャー・マッギン(1942年~)は、ニューヨークでフォークシンガー兼ギタリストとして身を立てようとしていたころ、1964年1月3日にビートルズ映像を見て衝撃を受け、グリニッチ・ヴィレッジのレコード店で「ミート・ザ・ビートルズ」を購入した。
1964年3月マッギンはロサンゼルスへ移り、クラブでビートルズを歌ったが、フォークスタイルだったためブーイングされる。一人だけ気にいってくれたのが、ジーン・クラークで、すぐに意気投合した。そこに加わったのがデビッド・クロスビー(1941年~)で、「ジェット・セット」と名乗り、3人でレコーディングを始めた。
1964年夏、プロデューサーのジム・ディクソンはディランの「ミスター・タンブリン・マン」(未発表の1964年版)を取りあげるよう勧めた。当初は自分たちの曲ではないと拒否したが、いい自作曲がなかったので、何度も試作録音を重ねることになった。64年10月下旬にほば現在の形が完成し、デモテープがプロモーターのベン・シャピロに渡る。本人は理解できなかったが、11歳の娘が聴いて興奮した。翌朝、シャピロ宅に来たマイルス・デイヴィスが若者に受けた曲があることに興味を示し、ジェット・セットのテープを聴くようにCBSコロンビアレコードに電話した結果、11月に両者は契約を結ぶ。その後、バンド名をバーズと改名。
1965年1月20日「ミスター・タンブリン・マン」録音。マッギンのギターとボーカル、クラークとクロスビーがハーモニーに加わり、、あとはセッションマンが演奏した。1965年4月12日発売、6月26日ビルボード1位。
フォークロックという名称が初めてマスコミに登場したのは1965年6月12日のビルボード誌とされる。ロックという言葉も初めて認知されたので、バーズがアメリカで生まれた初めてのロックバンドということになる。
(以上、「ビートルズとアメリカ・ロック史」中山康樹2009年より)
バーズのフォークロック時代は1965年でアルバム「ミスター・タンブリン・マン」と「ターン・ターン・ターン」の時代であり、マッギンの12弦ギターの特徴ある音色はジングル・ジャングル・サウンドとよばれた。
「ターン・ターン・ターン(Turn, Turn, Turn! (ToEverything There is a Season))」は、『旧約聖書』の「コヘレトの言葉(伝道の書)」3章を元にしたピート・シーガーの曲。
「All I Really Want To Do」もデイランの曲。
私がロックを聴き始めた1967年春には、過去のバンドとなって話題にならなかった。「クロスビー、スティルス&ナッシュ」の「「ティーチ・ユア・チルドレン (Teach YourChildren)」(1970年)が映画『小さな恋のメロディ』1971年6月に公開され、挿入歌としてヒットしたときに、バーズとバッファロー・スプリングフィールドの元メンバーだったことが話題となり、両バンドの過去曲をラジオで聴くようになった。
流行遅れとされた時代だったので、聴く機会は少なかったが、上記3曲が印象的だった。
Youtubeで20曲ほど聴いたうちの良曲。
「Mr. Spaceman」 1966年。
「 Jesus Is Just Alright」(1969年)ドゥービー・ブラザーズのカバーで知っていた。
「Positively 4th Street 寂しき4番街」ディラン作。(1970年)
「リムニーのベル(The Bells of Rhymney)」 から影響を受けてジョージ・ハリソンが「恋をするならIf I Needed Someone」を作ったが、駄曲だった。
「Eight Miles High」。曲自体はたいしたことがない。
グラム・パーソンズが唯一参加したアルバム『ロデオの恋人(Sweetheart OfThe Rodeo)』(1968年)を聴いてみたが、カントリーロックといえるのはスティールギターの部分のみで、リードギターには反映されておらず、カントリーロックとしては、まだ未完成と感じた。