Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

ロックの名曲 ママス&パパス 「夢のカリフォルニア」「マンデー・マンデー」

$
0
0

ママス&パパス(The Mamas & the Papasママズ&パパズ)は、1960年代後半のフォークロックグループ。
代表曲は、「夢のカリフォルニアCalifornia Dreamin'」「マンデー・マンデーMonday, Monday」。
 1998年、ロックの殿堂入り。
ジョン・フィリップス、ミッシェル・フィリップス、デニー・ドハーティ、キャス・エリオットの4人グループ。
 
リーダーのジョン・フィリップス(19352001年)は、1959年ジャズコーラスグループ結成。メンバーにスコット・マッケンジーがいた。1960年フォークトリオ「ジャーニーメン」結成。ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジで活動。64年解散。
ミッシェル・フィリップスは62年ジョンと結婚。モデルや女優を目指していた。
デニー・ドハーティは61年カナダでフォークトリオを結成、63年ニューヨークに進出し、「ハリファックス・スリー」と改称し、レコードを数枚発表した。64年解散。
キャス・エリオットはミュージカル女優を目指すかたわら歌手として、ニューヨークでフォークトリオ「ビッグ・スリー」を結成。63年デニー・ドハーティ、ザル・ヤノフスキー(のちラヴィン・スプーンフル)と「マグワンプス」を結成。ジョン・セバスチャン(のちラヴィン・スプーンフル)も伴奏に参加。
 
64年ジョンとミッシェルのフィリップス夫妻がフォークバンド「ニュージャーニーメン」結成。のち、ドハーティが参加するトリオとなる。651月から6月までヴァージン諸島でリハーサルを重ねる。ワシントンDCでジャズを歌っていたキャスがドハーティを頼って合流。
 
ジョンはハーモニーやコーラスに傾倒しており、ロックンロールを知らなかったが、ビートルズに影響されたドハーティがエレクトリック化を提案し、さらにバーズの「ミスター・タンブリンマン」を聴いてフォークロックへの転換に同意した。
 
ヴァージン諸島からニューヨクへ帰るときには、費用がなくなり、カードゲームで17連勝して費用を稼いだ。
グリニッチ・ヴィレッジに帰ると、仲間はカリフィルニアに移っており、彼らも7日後、車でサンフランシスコへ移った。
「明日なき世界」をヒットさせたバリー・マクガイアを通じて、815日ダンヒルレコード創設者ルー・アドラーの前で「夢のカリフォルニア」と「マンデー・マンデー」を歌った。アドラーはみすぼらしい4人組の天使のような歌に、自分の目と耳が信じられなかったが、契約を即決した。デビューアルバムのタイトルは彼の驚きをそのまま表現し、「If You Can Believe Your Eyes and Ears」と決められた。
 
196512月、フィリップス夫妻によって書かれた「夢のカリフォルニア」を発表。同曲は663月米4位の大ヒットとなった。次のシングル「マンデー・マンデー」は6651位になった。
 
1966年、ミシェル・フィリップスとバーズのジーン・クラークとの不倫が発覚、前年のドハーティとの不倫はジョンと和解していたが、2度の不倫にミシェルは夫のジョンにグループを脱退させられた。しかし、適当な代役が見つからなかったため、ミシェルは結局すぐに復帰した。この顛末をテーマにした1966年発売のシングル「アイ・ソー・ハー・アゲイン」は米5位とヒットした。
 
1967616日から3日間開催されたモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。ジョンはフェスティバルのテーマソング的役割を果たす「花のサンフランシスコ」を書き、「ジャーニーメン」時代の同僚のスコット・マッケンジーが歌ったシングルは全米4位を記録した。
モンタレー以降、ジェファーソン・エアプレイン、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスらが注目されて、新しいロックの時代となり、フォークロックの時代は終焉した。
1967年の夏に、サンフランシスコのヘイト・アシュベリーにヒッピーが集結し、ヒッピー・フラワームーブメントが盛り上がり、サマー・オブ・ラブとよばれた。
 
1967818日、ママス&パパスはハリウッド・ボウルで解散コンサートを開催した。前座はジミ・ヘンドリックスが務めた。その後、メンバーはそれぞれ個人的な活動を始め、1971年に正式に解散した。
 

フィリップス夫妻は1970年に正式に離婚した。ミシェル・フィリップスは1970年に俳優のデニス・ホッパーと8日間だけ結婚した。1987年、ミシェルはベリンダ・カーライル最大のヒット曲「Heaven Is a Placeon Earth」でコーラスを務めた。

 

「夢のカリフォルニア」は、1963年当時ニューヨークに住んでいたジョン・フィリップスとミシェル・フィリップスによって制作された。寒い冬のニューヨークから暖かいカリフォルニアを夢見る歌である。

 
この曲はバリー・マクガイアのアルバム「プレシャス・タイム」の1曲として、リードボーカルをバリー・マクガイアがとり、ママス&パパスがバックコーラスを担当し、6511月に録音された。
P.F.スローンがバーズの「ミスター・タンブリンマン」を意識して編曲し、彼自身がヴェンチャーズの「ウォーク・ドント・ラン」からヒントを得たリズムギターを弾いている。
 
ママス&パパス版は、このオリジナルテープを利用し、マクガイアのボーカルを削除して、ドハーティーに差し替え、間奏のマクガイアのハーモニカをバド・シャンクのアルト・フルートのソロに差し替えた。コーラスや伴奏はそのまま使用した。
 
私が洋楽を意識的に聴きはじめる1967年以前の66年ごろ、「夢のカリフォルニア」はビートルズの「ミシェル」やホリーズの「バス・ストップ」のように人気のある曲としてラジオを通じ誰もが知る曲だった。
スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」は1967年後半には日本でも知られるようになり、ヒッピー文化に私も憧れをいだくようになった。
「夢のカリフォルニア」が代表曲すぎて、ほかの曲を聴くことはラジオでは余りなかったように思う。
 
中山康樹は、ママス&パパスを、フィリップス自身の年齢に応じてジャズやスタンダードの要素を加えた「アダルトなフォークロック」をめざしたとする。その結果、それまで未開拓だった年齢層に支持され、先行するバーズ以上の一般的な人気を獲得したと評価している。
 

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles