スコット・マッケンジーScott McKenzie(1939~2012年)。アメリカのシンガーソングライター。本名はフィリップ・ウォラック・ブロンドハイム3世。
フロリダ州生まれ。1950年代半ばバージニア州にいたころ、後のママス&パパスのメンバーとなるジョン・フィリップスと出会う。高校生のときフィリップスとマッケンジーはドゥワップ・グループのアブストラクツを結成、ニューヨークでスムージーズと名乗り、シングル2枚をリリースした。このころ、芸名を覚えやすいスコット・マッケンジーとした。
1961年フォークブームが訪れ、フィリップスとマッケンジーはフォークグループの「ジャーニーメン」を結成、3枚のアルバムを発売したが、ビートルズがアメリカを席巻するに至り、1964年解散し、ソロとなる。
1967年5月、ママス&パパスで活躍していたジョン・フィリップスが書いた楽曲「花のサンフランシスコSanFrancisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)」をスコット・マッケンジーが歌い、全米4位を記録した。
「花のサンフランシスコ」は、1967年6月16日から3日間、カリフォルニア州モントレーで開かれた野外コンサート「モントレー・ポップ・フェスティバル」(ジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスがブレイクした)のプロモーションのために製作された。
1965年頃から米国では、反戦の象徴として花を用いたり着飾ったりすることが若者たちの間で行われるようになっており、フラワーパワーとよばれた。
録音ではフィリップスがギターとシタールを担当し、セッションマンがオーケストラベルとチャイムを演奏した。
同年7月1日付のビルボードで4位を記録し、英では1位を記録し、世界中で700万枚が売れた。
カウンターカルチャーのアンセムとなり、ヒッピー文化、ベトナム反戦運動、フラワーパワーを象徴する歌となった。
中欧でも若者たちが自由を象徴するアンセムとして使用し、1968年の「プラハの春」を象徴する歌となった。
ビージーズの「マサチューセッツ」(1967年)はこの曲のアンサーソングで、サンフランシスコに辿り着いたが、故郷のマサチューセッツが恋しくなるという心情を歌っている。
マッケンジーは 1986年から, 新生ママス&パパスで歌うことになった。また、ビーチボーイズの全米1位のヒット曲「ココモ"Kokomo"」(1988年)をジョン・フィリップス、マイク・ラブ、テリー・メルチャーと共作した。
1988年8月にヘイト・アシュベリーを訪れたが、閑散とした街並みではポルノが売られているだけだった。