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ポップスの名曲 バフィー・セント・メリー 「サークル・ゲームThe Circle Game」

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「サークル・ゲームThe Circle Game」は、バフィー・セント・メリーBuffy Sainte-Marieがジョニ・ミッチェルの楽曲を1967年にカバーした曲で、1970年の映画「いちご白書」の主題歌となりヒットした。
ジョニ・ミッチェル三大名曲のひとつ。ほかは、「青春の光と影Both Sides,Now」と「ウッドストック Woodstock」。 
 
「サークル・ゲーム」 (The Circle Game)は、ジョニ・ミッチェルにより作られた楽曲で、1967年までには、彼女のコンサートで披露されていたようだ。
19674月にカナダのフォーク・デュオ、イアンとシルヴィアのアルバムに収録されたものが最初に世に出たバージョンである。19677月バフィー・セントメリーがアルバム『Fire& Fleet & Candlelight』でカバーした。バフィー・セントメリーのバージョンは1970年公開の映画『いちご白書The Strawberry Statement』の主題歌として使用された。
 
「サークル・ゲーム」は、ニール・ヤングの楽曲「シュガー・マウンテン」に対するミッチェルのアンサー・ソングであった。
ミッチェルはカナダのフォーククラブに出演していた1965年頃、同じくフォークシンガーとして活動していたニール・ヤングと出会った。"You can't be twenty on Sugar Mountain" と歌われる「シュガー・マウンテン」という曲をヤングから聞かされた。その歌は1964年にヤングが19歳の誕生日に書いた曲で、ウィニペグでの青春の追憶をテーマにした曲だった。そのころ、既にミッチェルはヤングと知り合っていた。
 
ミッチェルは197010月、ロンドン・アルバートホールでのコンサートで、次のように語った。
1965年、ヤングはちょうどロックンロールのバンドtheSquires.を辞めた頃だった。21歳になったからという理由で。21を超えたら十代の女の子が騒ぐようなクラブには決して戻れないんだと彼は言っていた。突き動かされるように彼はフォーク・シンガーになろうとして、丘の上にあがって「ああ、シュガー・マウンテンで暮らすには」っていう歌を書いた。その歌には失われた青春に対する嘆きが込められていた。でも私は思った。私たちみんな21歳になったら、そのあとは何にもなくて、荒涼たる未来しか残されてないっていうの?冗談じゃない。だから私は彼のために、それから自分にも希望を持てる歌を作った。」
 
ミッチェル自身のバージョンが正式にレコーディングされたのは19704月発売の3枚目のアルバム『レディズ・オブ・ザ・キャニオン』においてである。デヴィッド・クロスビー、スティーヴン・スティルス、グラハム・ナッシュの3人が「The Lookout Mountain United DownstairsChoir」という名前でコーラスに加わっている
 
1970年公開の映画『いちご白書』は、ニューヨークの名門コロンビア大学での1966年から1968年までの学園紛争を描いた体験記をもとにした映画で、「イージー・ライダー」や「俺たちに明日はない」と並ぶ、アメリカン・ニューシネマの人気作品である。19706月、日本は9月に公開された。
 
挿入歌には、「サークルゲーム」のほかに、ジョン・レノン作の「平和を我等にGivePeace A Chance」(プラスティック・オノ・バンド)、クロスビー、スティルス&ナッシュの「「組曲: 青い眼のジュディ Suite: Judy Blue Eyes」、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングの「ヘルプレスHelpless」、「僕達の家Our House」、ニール・ヤングの「ダウン・バイ・ザ・リバーDown by the river」などがある。
 
荒井由実が1975年にバンバンに提供した「『いちご白書』をもう一度」は、映画公開当時のユーミン自身の思い出を元にしている。
 
バフィー・セント・メリー Buffy Sainte-Marie1941~)は、カナダ・サスカチュワン州生まれ。北米先住民ミックマック族の家系。その後、マサチューセッツで育つ。シンガーソングライター、社会運動家として活動している。
 
1971年「Soldier Blue/ソルジャー・ブルー」が英国で7位と初ヒット、同名映画の主題歌として彼女の代表曲となっているが、米国では発売禁止。
日本では67年のシングル「The Circle Game/サークル・ゲーム」が、70年にリリースされ代表曲となっている。
 
またジャック・ニッチェと作曲コンビを組んだ「Up Where We Belong/愛と青春の旅だち」は、82年公開米国映画「An Officer And A Gentleman/愛と青春の旅だち」の主題歌として、ジョー・コッカーJoe Cockerとジェニファー・ウォーンズJoeCocker に提供され、8月にビルボード1位とヒットした。
 
1972年の大学入学後に映画館で見たように記憶している。広場で学生たちが、楽しそうに円形にダンスしているシーンがあったように記憶していたが、youtubeのフルムービーをざっくり見たが、そんなシーンはなかったので記憶違いだったようだ。回転木馬のシーンはあった。

バフィー・セント・メリーの歌い方は、息苦しそうで下手な部類だが、かえって生硬な若者の息遣いが感じられて、当時の雰囲気を表している。ラジオでよく流れていたので、懐かしい。

荒井由実が1975年にバンバンに提供した「『いちご白書』をもう一度」が大ヒットしたというのは、荒井由実も一応否定的な態度でなく、この映画を見ており、同様な印象を持っていた若者たちが多かったということか。

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