ドアーズ(The Doors)は、ロック音楽黎明期のアメリカ西海岸を代表するバンドとして、1960年代後半から1972年まで活動したロック・バンド。カリスマ的ボーカリストのジム・モリソンで知られ、1971年の彼の死により、活動を停止した。1993年度『ロックの殿堂』入り。
1965年にロサンゼルスのUCLA映画科の学生であったジム・モリソンとレイ・マンザレク(キーボード)が主体となってグループを結成した。なお、UCLAの映画学科の同級生には映画監督のコッポラがいた。
ロサンゼルスのウィスキー・ア・ゴー・ゴーなどでステージ活動を行う。
1967年1月にデビュー・アルバム『ハートに火をつけて』が、リリースされた。第2弾シングル「ハートに火をつけて(Light My Fire)」は67年7月にビルボードで1位となり大ヒットした。
バンドは、ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドと並び、1967年におけるアメリカのトップ・バンドの一つとなった。
1968年のシングル「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」は、2枚目のアメリカでのNo.1シングルとなった。
1968年12月の次のシングル「タッチ・ミー」は69年始めに、ビルボード3位、キャッシュボッックス1位。
1969年3月1日のフロリダ州マイアミでのコンサートで、モリソンはステージ上で性器を露出したとして逮捕される。
ジム・モリソン(Jim Morrison、1943年~1971年)の父親は、アメリカ海軍の軍人で、後に提督となった。
1971年7月3日、モリソンはパリのアパートにあるバスタブの中で死体として発見された。パリの警察は検死を行わず、死因は心臓発作と発表したが、薬物の過剰摂取が死の原因ではないかと考えられている。
「ハートに火をつけて(Light My Fire)」は1967年の夏か秋に、日本でも大ヒットした。めまいを起こしそうなイントロのオルガンに幻惑されてラジオを聴いていると、後半でマンザレクのオルガンソロが逆回転するように聴こえる個所がある。
ギターソロも含めて、これがサイケデリック・ロックかと感嘆した。
幻覚の疑似体験ができる最高のサイケデリック・ロック。
ホセ・フェリシアーノのギターカバーもよく放送されたが、ドアーズ版でなければ真価は分からない。
デビューシングルの「Break On Through (To the OtherSide)」もこの頃、ラジオで流された。
68年の「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」もいい曲で、一発屋ではないことを証明した。キンクスのパクリとされるぐらいのストレートなロックだったが、中間のオルガンの遊びに力が抜けるところがあり、サイケデリックらしさを演出している。
1968年12月の次のシングル「タッチ・ミー」も、ハードなロックナンバーでバラードを含む、いい曲だった。
順調に次の曲を出してくれると思っていたら、新聞などで、モリソンがステージ上で性器を露出したとして逮捕されたというニュースが流れ、驚いた。シングルもぱっとしなくなったところに、1971年7月ジム・モリソンが死亡したというニュースが伝わった。このころは、ジミヘン、ジャニスなども麻薬で死んだので、またかと思った。
1979年公開の映画『地獄の黙示録』(監督はコッポラ)で「ジ・エンド」(The End) が使われ、再度ドアーズが脚光を浴び、ジム・モリソンの評価も高まった。