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Channel: いちご畑よ永遠に
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H.I.S「びっくり大連3日間」で大連と旅順の駆け足観光

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大連湾北部。工業地区。
20181124日(土)から26日(月)まで、中国の大連・旅順を旅行した。
H.I.Sの「びっくり大連3日間」を利用し、費用は基本料金23800円に一人部屋追加料金10,000円、空港使用料・現地税4090円の追加で旅行代金】37,890円と現地費用1000円の38,890円。
利用航空会社は中国南方航空、利用ホテルは大連の泰達美居酒店(メルキュール大連)2泊。
 
日程は、112411:40:中部国際空港発(直行)13:20:大連着着後、現地係員と共に市内へ。
午後、大連市内観光(旧ロシア人街、中山広場)。夕食、東北名物・餃子料理。
1125日、老虎灘、北大橋、旅順観光(水師営会見所、203高地、旅順博物館、旧関東軍司令部跡など)。
1126日、07:30:大連発(直行)10:40:中部国際空港着。
 
実質の観光時間は1日半。夜は2日ともオプションがあり、大連の夜景、路面電車などが、5000円前後の料金。いずれもほとんどの人が参加したが、私は参加しなかった。マッサージにこだわる人も多い。

1112日(月)新聞夕刊の広告で見つけた。翌13日が内科医院の薬の処方箋をもらう日だったので、医者に2時間程度の飛行は大丈夫かと尋ねると、OKとの回答を得たので、帰宅後予約と支払を済ませた。中国東北部への観光は、中部国際空港からはLCCの春秋航空がハルビンまで運行していたので、個人旅行を検討していたが、昨年8月末に路線休止したようだ。
1月末に心臓手術を受けて身障者1級になり、9月までリハビリをして、最近良好になってきたので、今回のツアーを健康回復度合いのテストにしようと考えたので、23日程度で充分だ。
 
大連の緯度は盛岡と同じで、11月下旬だと最高気温10度前後になる。旅行に適した時期ではないので、ツアー料金が安いのだろう。
寒いので、名古屋の1月なみの服装で対応を考えた。
 
11247時ごろに自宅を出て、830分ごろ中部国際空港に到着。えびせんを試食したりして、940分にカウンター前に行くと行列ができていた。座席は窓側だった。
 
中国南方航空は、9割ほどの座席率であった。
 
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大連空港付近。北方向。
 
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大連空港付近。北方向。
入管では指紋を10本全部採られた。荷物はデイパックに3分の一程度入れただけなので、すぐに出口へ出たが、ガイドはまだいなかった。しばらくして戻ると、出口付近にガイドやツアー客がいた。今回は9人だった。青年2人組のほかは熟年。
大連観光のバスに乗車し、旧ロシア人街観光に向かった。
 
車内で5000円を285元で両替した。1元は17.54円の計算になる。人民元は、今回のツアー中、35元を使用。5元は海鮮土産屋のセンベイパック、20元は203高地の入口から登山口までのシャトルバス往復、10元は2日目の夕食として、ホテル近くのスーパーで買ったパン。
26日に250元をガイドから両替したら、4000円と5元が返ってきた。手数料取られ過ぎだが仕方がない。5元は空港内免税品店で缶飲料を買った。
 
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旧ロシア人街。
14時ごろ下車観光。
本来はヤマトホテル内部見学のはずが、11月から工事により内部見学不可のため、旧ロシア人街見学になったとHISから案内があった。
 
日清戦争後、遼東半島の租借権を獲得したロシアは、1899年から商業港の建設を目的として、鄙びた漁村だった地(ダーリニー)に都市建設を始めた。参考にしたのはフランスのパリであった。中山広場など円形広場がいくつか放射線状に列なる原型はこのときに造られた。
 
旧ロシア人街の街路は現在は団結路という名である。奥の建物がダーリニー時代の市役所。
 
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旧ロシア人街。
ロシア人街のほとんどは、観光目的で再建された建物である。この建物も教会風の外観であるが、元々も教会ではなかったという。
 
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旧ロシア人街。
入口方向のトンガリ屋根と赤レンガの建物は、かつての東清鉄道汽船本館でロシア統治下の1902年ンに建設された。東清鉄道はロシアが旅順からハルビンまで設置した鉄道である。
日露戦争で日本が大連を占領すると、東清鉄道汽船本館は日本の軍政署として接収され、のちに大連倶楽部などとして使用された。
 
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旧ロシア人街。旧ダーリニー市長公邸。
東清鉄道技師長で視聴も兼務したサハロフが暮らしていた。
現在は大連船舶技術学校。
 
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旧ロシア人街。旧ダーリニー市役所。
建物はルネサンンス様式で、マンサード屋根やクリーム色の外壁などの色調がパリ風である。
日本統治時代は、関東州民政署、関東都督府民政部、初代満鉄本社、初期の大連ヤマトホテル、満蒙資源館などとして使用され、革命後は大連自然博物館となり、現在は使用されていない。
 
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旧日本橋。旧ロシア人街入口の中山広場方向にある。全長
94m。現在の名は勝利橋。橋の下は大連港へ向かう鉄道の線路。1908年に日本が建設した鉄筋コンクリート製の橋。
 
バスは中山広場広場へ向かった。

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