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Channel: いちご畑よ永遠に
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ポップスの名曲 ビージーズ 「マサチューセッツ」「ホリデイ」 「ニューヨーク炭鉱の悲劇」「ジョーク」 「 メロディ・フェア 」「愛はきらめきの中に」

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ビージーズBee Geesは、オーストラリア出身のポップバンド、1970年代後半はディスコサウンドを牽引した。
ポップなメロディ・メイカーとして、レノン=マッカートニーやビヨルン&ベニー(ABBA)らと並ぶ、名ソング・ライター・チームとして知られている。
 
ビージーズはギブ3兄弟を中心に結成されたが、1972年からは完全に兄弟のみのトリオ編成となった。
バリー・ギブ(1946年~)は長男で、ビージーズ結成時から数多くの楽曲を作曲し、リードボーカルを担当。70年代中期以降、ファルセット唱法を積極的に導入した。
ロビン・ギブ(1949年~2012年)はモーリスとの二卵性双生児で次男。一時的に脱退し、その後復帰した。
モーリス・ギブ(1949年~2003年)は三男。ギター、ベース、オルガン、メロトロンなどを担当。グループのライブバンドのバンドマスターでもあった。
 
ギブ兄弟はマン島で生まれた。1950年に父の故郷マンチェスターに移る。1958年、父の都合により家族7人でオーストラリアのブリスベンに移住。兄弟は小遣い稼ぎで唄うようになり、Bee Geesと名乗る。1960年にテレビとラジオのレギュラー番組を持つようになった。1963年にレコードデビューして国民的規模の人気を博す。英米ミュージシャンの多くは黒人音楽に少なからずも影響を受けたが、ビージーズはエヴァリー・ブラザースからの影響を強く受けた。
 
19672月、シングル「スピックス&スペックスSpicks and Specks」が全豪NO.1ヒット。イギリスに帰国したギブ兄弟は、5人編成として19675月にポリドールから「ニューヨーク炭鉱の悲劇」で英米レコード・デビュー。
以後、「マサチューセッツ」(全米11位)、1968年に「ジョーク」などが全米TOP10ヒット。1969年春シングル「若葉のころ」を発売。まもなくロビンがソロ・シンガーになるべく脱退したが、19709月にバリー、ロビン、モーリスの3人は改めてビージーズとして再出発した。
 
1971年のイギリス映画「小さな恋のメロディ」は、本国では成功しなかったものの、日本では興業的にも大成功となり、サントラ盤に収められた「メロディ・フェア」「若葉のころ」などは日本人に親しまれた。これらの曲は、現在でもラジオでオンエアされることがある。
 
1973年からは米国を中心に活動。1975年に「ジャイヴ・トーキン」、「ブロードウェイの夜」がディスコブームに乗り、全米大ヒット。以後も、ディスコ・ナンバーを中心とする路線を継続し、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」などの大ヒットを飛ばした。ディスコで大人気を誇っていたビージーズのナンバーを大きく取り入れた映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が、1977年に公開された。「ステイン・アライブ」「ナイト・フィーバー」などがヒットした。
 
日本では、「マサチューセッツ」が196841日付け週間シングルチャートで、日本人以外の歌手で初めてナンバー1となった。これ以降ビージーズは日本でもかなり人気のあるグループとなり、「ミュージックライフ」の表紙を飾るようになった。
 
「マサチューセッツ」は、19678月に録音され9月に発売された。この曲をギブ3兄弟が書いたのは、オーストラリアの人気グループであるシーカーズに提供するためだったが、結局録音されなかった。
ギブ3兄弟は、まだマサチューセッツ州には行ったことがなかったが、マサチューセッツという語感が単に好きだったという。歌詞はヒッピームーブメントが盛んであったサンフランシスコで故郷マサチューセッツを想うという設定になっている。
 
「マサチューセッツ」がラジオから流れだしたのは、1968年始めごろだろうか。甘く美しいメロディは当時の中学生たちを魅了した。この曲が大ヒットしたので、過去曲の「ニューヨーク炭鉱の悲劇」や「スピックス&スペックス」もラジオで流れた。「マサチューセッツ」のB面の「ホリデイ」も名曲で私もよく口ずさんでいた。「アイ・スターティド・ア・ジョーク」もいい曲だった。当時人気はあったが、レコードを買うほどまでの積極的なファンであったことはない。
しばらく忘れたころに、「メロディ・フェア」も大ヒットしたが、甘いボーカルが鼻につきすぎて好きな曲ではなかった。同じ挿入歌だったCSNYの「ティーチ・ユア・チルドレン」の方が好きだった。映画を見たこともなかったが、音楽映像を見て牧歌的ないい時代であったと追懐した。
 
また、忘れたころに「ステイン・アライブ」などのディスコバンドとして復活したが、ディスコミュージック自体が好きではないうえに、ファルセットボーカルが気持ち悪くて聴くことはなかったが、「How Deep Is Your Love」は「マサチューセッツ」につながる流れの曲なので評価できる。
 
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」 - New York Mining Disaster1941 1967年)

「ホリデイ」 - Holiday 1967年) - 全米16位(日本においては「マサチューセッツ」のB面)

「マサチューセッツ」 - Massachusetts 1967年) - 全米11, 全英1
ジョーク - I Started A Joke 1968年) - 全米6

「メロディ・フェア」 - Melody Fair 1971年) - 映画『小さな恋のメロディ』の主題歌として、日本でのみシングル・カットされ大ヒット。(オリコン3位)

「愛はきらめきの中に」-How Deep Is Your Love (1977)映画『サタデー・ナイト・フィーバー』からシングルカットされ全米1
 
 
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」は村上春樹の短編小説の題名として使用された。デビッド・ボーイの「スペース・オデッティ」にも影響を与えた。ニューヨーク炭鉱は実在しない。
 
要するに、私にとってビージーズは「マサチューセッツ」のイメージがすべてである。

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