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ロックの名曲 ヴァニラ・ファッジ 「キープ・ミー・ハンギング・オン」 カクタス ベック・ボガート &アピス 

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ヴァニラ・ファッジVanilla Fudge は、1966年にデビューしたアメリカのロック・バンド。
「キープ・ミー・ハンギング・オンYou Keep Me Hangin' On,」(1967年)のヒットで知られる。
サイケデリックロックとハードロック・ヘヴィメタルのリンクとなった数少ないアメリカのバンドの一つとされ、ディープパープル、イエス、スティクス、レッド・ツェッペリン、ユーライヤヒープなどに影響を与えた。
 
オルガンのマーク・スタイン、ベースのティム・ボガート、リードギターのヴィンス・マーテル、ドラムスのカーマイン・アピスの4人編成で、1966年から69年まで5枚のアルバムを発表、70年に解散した。
1960年代末当時、強力なリズム隊(ドラム・ベース)を擁しているグループと評された。1970年に解散したが1982年に再始動し、以降断続的に活動している。
 
1965年、スタインとボガートはラスカルズのスウィンギン・サウンドとオルガンの洪水に感銘を受け、バンドを結成した。196612月にアピスが加入、バンド名もヴァニラ・ファッジと改名した。バンド名はアイスクリームの商品名で、知り合いの女の子が祖父からよばれていたあだ名を採用したという。
 
バンドの最大のヒット曲は1967年の「キープ・ミー・ハンギング・オン」である。ファースト・アルバムからシングル・カットされた同曲は、元々は1966年にシュプリームスが唄って全米No.1となった曲だが、3分くらいだったオリジナルを、スローで色彩感の強い7分の曲にアレンジし、フル・ヴァージョンを収録したアルバム、及びレコード会社の意向で3分ほどに短縮されて収録されたシングルとも全米6位まで上昇した。メインヴォーカルを担当したのはマーク・スタインで、彼のサイケデリックでバロック風のオルガンとアピスのハードなドラムが特徴となっている。
 
シュプリームスのカヴァーというのは誰のアイデアだったのか尋ねられ、アピスは「それはマークとティムさ。僕らは曲のテンポを落とし、歌詞を聴いて、以前はよく歌詞が決めていたことを見習おうとした。それは傷心の歌だった。それに多くの感情が込められていた。「エリナー・リグビー」は少々不気味で、教会のようだった…ホラー映画か何かのように。もし君がスプリームスの「キープ・ミー…」を初めに聴いたなら、それは幸福に聞こえるけれど、歌詞は全然幸福じゃない」と語っている。
 
ヴァニラ・ファッジのメンバーはビートルズのファンであり、「涙の乗車券」と「エリナー・リグビー」を含む彼らのナンバーをカヴァーした。デビューアルバムの最後には「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の一節「there's nothing to get hung about.」が引用されている。
 

レッド・ツェッペリンが19691月に初のアメリカ・ツアーを行ったとき、彼らはいくつかのショーでヴァニラ・ファッジの前座をつとめている。

ジョン・ボーナムはアピスの使用していたドラムセットを気に入ったため、アピスはラディック社にボーナムを紹介し、ボーナムはアピスと全く同じドラムセットを入手した。
ディープパープルのリッチー・ブラックモアとジョン・ロードはヴァニラ・ファッジのヘビーなオルガンに影響を受けたと語っている。
 
19695月、ニューヨークでジェフ・ベック・グループと競演し、ベックが、アピスとボガートを引き抜きにかかった。 8月にヴァニラ・ファッジはコカ・コーラのCMソングをつとめた時、負傷していたギターのマーテルに代わってベックが友情参加してくれたことから、アピスとボガートはベックと一緒にロッド・ステュワートを加えて活動する決意をした。 9月になってアピスとボガートはヴァニラ・ファッジを脱退したが、11月にベックが交通事故に遭い、バンド結成は棚上げとなった。
 
1970314日にヴァニラ・ファッジはフィル・バジルズ・アクション・ハウスで解散コンサートを行った。
 
カクタスCactus
1970年初め、ボガートとアピスは知り合いだったジム・マッカーティー(ギター、元バディ・マイルス・エクスプレス)を誘い、マッカーティーの推薦でラスティ・デイ(ボーカル)が加わりカクタスCactusとして活動を始めることとなった。
バンド名は通りがかりのドライブインシアターの名前から取ったが、もともとは「サボテン」という意味である。『カクタス』『ワン・ウェイ... オア・アナザー』『リストリクションズ』と3枚のアルバムをリリース後、71年末にマッカーティーが脱退、その後デイが解雇された。
カクタスはエアロスミス、ヴァン・ヘイレン、38スペシャル、ブラック・クロウズ、モントローズ、レーナード・スキナードといったバンドに影響を与えたとされる。
 
ベック・ボガート& アピスBeck, Bogert & Appice
1972年、ボガートとアピスはカクタスを脱退し、ジェフ・ベックと共にベック・ボガート& アピスを結成し、スタジオアルバム1枚およびライブアルバム1枚を発表した。
ベックはベースラインに徹せず、前に出てくるボガートの演奏に不満を持ち、殴り合いの喧嘩に及んだこともあった。その後、ボガートがバイク事故に遭い、復帰後にボガートとアピスだけディープパープルのコンサートに飛び入り参加するなど、ベックとの別行動が目立つようになり、1974年にバンドは解散した。
ライブアルバムは19735月の来日公演のもので、1975年に日本でのみ発売された。
 
ロック史で重要な人物はドラムのカーマイン・アピス(1946年~)である。ハードロックの分野におけるドラミングのパイオニアの一人で、個性的かつ特徴的なロックフィルを生み出し、ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)やコージー・パウエルら後進のドラマーに影響を与えた。
ヘヴィ・ドラミングを確立。ロックドラムにツー・バス(バスドラムを2個使用)を取り入れたり、ベースアンプにバスドラムのマイクを突っ込んだり、リニアグルーピング奏法(16分を664等の拍の組合せで組立て直すトリッキーな奏法)を取り入れたりするなど、先んじて新しい機材や技術を演奏に取り入れた。
音楽教育にも熱心で、ロックドラマー向けの教則本『Realistic RockDrum Method』は全世界で30万部以上を売り上げた。
 
私がラジオで「キープ・ミー・ハンギング・オン」を初めて聴いたのは1967年か1968年かは覚えていない。日本版シングルのB面は「ショットガンshotgun」となっており、これはアメリカで1968年に発売されたシングルなので「キープ・ミー・ハンギング・オン」の日本での発売は1968年だったのであろう。
印象的なのは迫力のあるオルガンによるサイケデリックロックであったということ。シュプリームスの原曲は当時も聴いたことがなかったので、この曲のイメージはヴァニラ・ファッジのものでしかない。
ヴァニラ・ファッジは「キープ・ミー・ハンギング・オン」以外の曲は以降聴くことがなかったので、それで終わったバンドだと思ってきた。
 
ベック・ボガート& アピスの名は音楽雑誌で知っていたが、ラジオで聴くことはなかった。
1980年代始め、タイヤのCMだと思うが、砂丘を走る車の映像とともに、ハードだがサザン・カントリー風で心地よいロックが使用され、カクタスの曲とクレジットされていた。以降カクタスのこの曲を探し求めて、youtubeを調べてきたが、あてはまりそうな曲はなかなか発見できない。
その過程で、ヴァニラ・ファッジ、カクタス、ベック・ボガート& アピスがつながって驚いた。
ヴァニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」では、ベースのボガートの異常な行動に驚いた。
「ショットガンshotgun」はハードロックだった。
カクタスの代表曲は「parchman farm」らしい。「Token Chokin'」はカントリー風。
正直にいえば、聴きたい曲は「キープ・ミー・ハンギング・オン」だけで、ほかの曲は歴史資料・参考資料にすぎない。

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