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名古屋城本丸御殿上洛殿 上段之間 一之間 帝鑑図 彫刻欄間

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名古屋城本丸御殿上洛殿。一之間と入側
(廊下)。東の三之間方向。
20181017日(水)。
入側の彫刻欄間の画題は「椿に山鵲(さんじゃく)」。
 
入側と部屋の仕切りとなる舞良戸(まいらど)は、板に黒漆塗りの舞良子(横桟)を打ち付け、隙間に金箔貼料紙を張りこんだもので、廊下を通るときも金と黒の対比が目に鮮やかであったと思われる。
 
一之間東側襖絵の画題は「帝鑑図・褒奨守礼(ほうしょうしゅれい)」。
 
上段之間の南西隅にあたり、左(北側)入側を進むと上段之間がある。
 
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左(北側)入側の花狭間(はなざま)格子欄間」。
 
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上段之間西入側。北境。

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舞良戸の引手金具。葵の紋。
 
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上段之間。
15畳。3代将軍徳川家光が座した広間。
東側張台構(ちょうだいがまえ)。
納戸との境となる。
 
天井は、二重折上げ天井に板絵や蒔絵を施した「黒漆塗二重折上げ蒔絵付格天井」。花鳥や山水を描いた板絵が嵌め込まれている。
 
「帝鑑図・不用利口(ふようりこう)」。狩野探幽画。
 
最も格式の高い上段之間と次の一之間には、治政者が政治の鑑(かがみ)とすべき中国の皇帝の故事を描く「帝鑑図」が狩野探幽により描かれた。狩野派では山水人物画が最も格式が高い。
 
「帝鑑図」は中国,明代1572年に政治家張居正が編述した著書「帝鑑図説」(2)にもとづいた人物画の画題である。
鑑とする中国皇帝の善政81項と反面教師とすべき悪政36項を選び,故事を四字句にまとめ,内容を述べ,1図を加えて解説した絵入り版本で、日本では慶長11年(1606)豊臣秀頼の命により和刻本が出版された。中国よりも日本で盛行し,狩野派により取り上げられ,狩野山楽や探幽により定型化が進んで京都御所、江戸城、西本願寺などの障壁画に描かれた。
尾張藩初代藩主徳川義直も舶載された明版とみられる駿河御譲本を所有していた。
 
「不用利口」の画題は、漢の文帝(前漢5代皇帝、在位BC180157)の説話で、文帝が上林苑へ行ったとき、飼育されている禽獣について役人に質問したが、すぐに答えられなかった。そこで文帝は饒舌に質問に答えた傍らの農夫を重用しようとしたが、家臣の張釈之が、「徳のある者は、みだりに饒舌を用いない。この農夫に官位を与えれば、皆が饒舌を用いてばかりいて、真実を語らなくなる」といって文帝を諌めたという話である。
 
画題選択の背景には、初代藩主徳川義直ら旧時代の武人派の、家光とその周囲の新興官僚派に対する反発がみられるとする説がある。
 
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上段之間。北側床の間。壁貼付絵。「帝鑑図・遺倖謝相(いこうしゃそう)」。
 
漢の文帝は、正直な家臣の意見を聞き入れ、怠慢な寵臣を罰したという故事。
 
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上段之間。南側襖絵「帝鑑図・露台惜費(ろだいせきひ)」と一之間。
 
漢の文帝は山上に見晴し台(露台)を作ろうとしたが、露台一基に十戸分の費用がかかると知り中止したという故事。
 
彫刻欄間は「大和松と薔薇と笹に鶴と亀」。
表は格の高い上段之間側ではなく、将軍に対面する一之間側に向けられている。
 
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舞良戸と襖。
 
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舞良戸と襖。
 
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舞良戸。飾り金具。
 
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舞良戸。
 
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一之間と上段之間。
 
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一之間。東側襖絵、「帝鑑図・褒奨守礼(ほうしょうしゅれい)」。二之間との境。
漢の宣帝(前漢9代皇帝、在位BC7448)は、優れた守礼(地方官)を重用し、待遇を厚くした。画題は地方官を宮中に招き、馳走する場面。梅が描かれて早春の季節を示す。
 
彫刻欄間は「竹と梅に鶏」。
北面の鶏は太鼓に乗っており、「諌鼓(かんこ)苔むす」のさま、すなわち君主に対して諫言しようとする人民が打ち鳴らす太鼓に鶏が乗るほど善政が続いているという故事を表している。
 
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一之間。南入側方向
 
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飾り金具。
 
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一之間北側と上段之間。「帝鑑図・明弁詐書
(めいべんさしょ)」。
漢の昭帝(前漢8代皇帝、在位BC8774年)は、14歳のとき忠臣をおとしめる讒言に惑わされなかったという。画題は、讒言により畏まる忠臣と彼を許す昭帝。幼いながら凛々しい帝の容貌は、上洛殿のなかでもずば抜けた出来とされる。
 
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一之間北側と上段之間。
上段之間は、太鼓縁の畳を敷いた間口二間の大床・清楼棚の座敷飾を備えている。
 
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一之間。東側彫刻欄間「竹と梅に鶏」。
 
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一之間西北側と上段之間。
 
彫刻欄間は、富山県井波で古写真をもとに木彫復元され、京都で彩色された。1枚を彫り上げるにあたり、200本の彫刻刀を使い分けて、10人がかりで半年要したという。

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