近代美術館。メキシコシティ。2014年11月11日(火)。チャプルテペック城を16時15分ぐらいに出て、麓の国立近代美術館へ向かったが、遊歩道が屈曲していて、城へ行く前に、美術館正門から来たときの道を失ってしまった。何人かに尋ねながら、英雄少年記念塔から向かうと、事務所棟があり、そこが裏口であった。
入場料26ペソを支払い、展示棟へ向かう。時間がないので入口で歩き方にある「二人のフリーダ」の絵を示して、どこかと尋ねると、階段の上の方向を教えてくれた。常設展示室の最初にある絵画が「二人のフリーダ」だった。フラッシュなしの写真は認められているものの、横に座っている監視員は気になった。
「二人のフリーダ」。フリーダ・カーロ(1907~1954)。1939年制作。
フリーダ・カーロの絵画の中でも名作の一つと考えてよい。メキシコ壁画運動の時代に活躍した女性画家フリーダ・カーロの生涯には、魅惑的で危険な薫りが漂っている。若い頃の交通事故の災禍によって、絶えず死に脅かされながら、奔放な愛に生きたフリーダは、まさにメキシコ的な色彩に彩られた美しきヒロインである。
フリーダ・カーロについて、夫であり、画家でもあったディエゴ・リベラは「彼女は女性特有の、あるいは女性に普遍的なテーマを、仮借のない率直さと冷徹な厳しさをもって描いた、美術史上最初の女性である」と評している。
「二人のフリーダ」。
「二人のフリーダ」は二つに引き裂かれたフリーダの二重自画像である。この絵が生まれた背景には、ディエゴとの離婚があった。
自画像の右側は、ディエゴに愛されているときのフリーダだ。一本の血管が延び、左側のフリーダの心臓へと繋がっているが、その血管はフリーダの心臓を潤してはいない。左側の心臓はひからびた空洞と化している。なぜならこのフリーダはもうディエゴに愛されていないからだ。外科鋏を持った愛されないフリーダは孤独と不安に苛まれ、血を流して苦悶する。
しかし、決して絶望することなく、愛を求めて不屈に生き続ける自己を、フリーダは冷徹に凝視している。
「二人のフリーダ」。フリーダ・カーロのサイン。
「二人のフリーダ」。キャプション。Las dos Fridas。
フリーダ・カーロはメキシコの絵画史上で、最高の画家だと思う。ディベラ、オロスコ・シケイロスらの壁画画家よりも、圧倒的な訴求力がある。芸術はそれを視聴する者にどれだけ感動を与えるかが大事だ。巧拙ではない。
フリーダ・カーロを知ったのは、NHK教育テレビの日曜美術館での45分間の特集映像だった。その時の感情をよく覚えている。朝の陽光に包まれた私の部屋に似つかわしくないコルセットと血に包まれた彼女の人生だったからだ。
正確な放送日時は忘れたが、20~30年前のような気がする。
日曜美術館は1979年頃から17年ほどは毎回見ていた。田中一村、長谷川利行、神田日勝、グランマ・モーゼス、丸木スマ・大道あやなどを教えてもらった。近年では2006年9月17日の放送で石田徹也を知った。亡くなった直後ぐらいで、2013年の回は見ていないが、これは2回目に取り上げたもの。最近は同じ画家の繰り返しが多くて見ることは少なくなった。
「ルペ・マリンの肖像」。ディエゴ・リベラ(1886~1957)。1938年。
「パウル・アンテビ Paul antebíの肖像」。
ディエゴ・リベラ。1955年。
「婦人(Eve mayers)像」。シケイロス(1896~1974)。1934年。
シケイロスがトロツキー暗殺団の隊長だったと、最近知った。
「春 La primavera」。オロスコ(1883~1949)。1945年。フレスコ画。
旅行前に読んだフエンテス短篇集「アウラ・純な魂」の「チャック・モール」の挿絵に使用されていたと記憶する。
中央の人物は葉で覆われ、像のように立っている。左手に赤い花を持ち、左側の人物は右手で枝を持ち、左手で中央の人物の背景となる布を持ち上げている。
医者の息子の証言では人間の病気を治すことがテーマであったようだ。また、再生と豊穣を象徴するという見方もある。
「春 La primavera」のオリジナルの状態。
この絵は1945年オロスコのかかりつけの泌尿器科医であったホルヘ・モレノ・マウレ邸の私室に描かれた。私邸にあったので、世間的には知られず、1972年に未知の作品として再発見されて話題となり、1979年に国立美術研究所の所有となり、近美で公開された。
近美の常設展の展示点数は少ない。別室の現代美術も量は少ない。40分ほどで、館を出た。「二人のフリーダ」を見ることが出来て満足した。コヨアカンのフリーダ・カーロ博物館は11月23日にじっくり見学した。
チャプルテペック公園から地下鉄チャプルテペック駅へ向かう。チャプルテペック城と英雄少年記念塔が見える。
下は高速道路が走っていて、下から煙が出ていて何かと思ったら、交通事故だった。この時間帯は天気予報どおり小雨が降っていた。メキシコ旅行中で雨に降られたのはこの時ぐらいだった。
この辺りは地下鉄駅の場所が分かりづらく、歩き方の地図もあいまいなので、近くにいた女の子に駅の位置を尋ねた。
歩き疲れたので、サンフェルナンド館へ帰り、昨夜徒歩20分のウォルマートで購入したスパゲティを茹でて夕食とした。
翌日はグアダルーペ寺院とソカロ地区の見学。