紀伊国分寺跡。国史跡。塔跡から北方向へ紀伊国分寺講堂跡に建てられた紀伊国分寺本堂を眺める。
平成27年11月5日(木)。和歌山県紀の川市。
紀伊国分寺は、紀ノ川下流域の北岸に形成された河岸段丘の南端部に位置する。741年(天平13)聖武天皇の国分寺建立の詔により造営が開始され、756年(天平勝宝8)に主要伽藍が完成した。創建当時の境内は不明だが、講堂跡を中心に2町(約218m)四方が境内の名残を示している。
879年(元慶3)に火災で伽藍が全焼し、金堂と僧坊が再建されたが、その他は再建されなかった。その後、14世紀初めに本堂が講堂跡に再建され根来寺の末寺になった。1585年(天正13)には羽柴秀吉による紀州征伐で、根来寺とともに焼き討ちされ、伽藍を再び焼失したが、元禄13(1700)年に本堂が再建された。
近年、この寺跡は基壇の復元造成や史跡緑地公園としての整備が行われたが、塔跡の17個の礎石は創建当時のまま残っている。
粉河寺から西に向かい、道標にしたがうと、寺院が立つ史跡南にある紀の川市歴史民俗資料館に着いた。当日は10数台ほど駐車車両があり、驚いたが、古文書の講習会が開催されていると聞いた。資料館は入場無料。常設展示のほかに「和歌山県内埋蔵文化財調査成果展」も開催されていたので見学したのち、史跡見学へ向かった。
紀伊国分寺・1/100模型。紀の川市歴史民俗資料館。
史跡公園案内図。右が北方向。
資料館から史跡跡へ向かう途中にある。
紀伊国分寺跡。塔跡の説明。
紀伊国分寺跡。講堂跡の説明。
紀伊国分寺の解説。
紀伊国分寺。瓦葺復元模型。
紀伊国分寺の解説。
興福寺式軒瓦が採用されている。
サヌカイト製石鏃。砂岩製磨製石斧。紀の川市歴史民俗資料館。
いずれも縄文時代後・晩期。堂坂遺跡(打田地区竹房)出土。堂坂遺跡は旧石器時代から弥生時代の複合遺跡で. 河岸段丘上にあり. ナイフ形石器、縄文土器、石鏃・石斧・石皿・敲石・弥生土器を出土した。
下。縄文土器。突帯文深鉢。堂坂遺跡出土。上。紀伊国分寺跡出土。石棒(祭祀具)。縄文時代後期。
平井遺跡出土。耳環(金貼)、耳環(銀貼)。和歌山県内埋蔵文化財調査成果展。
平井遺跡。説明。
蓋(きぬがさ)型埴輪。大谷山22号墳。和歌山県内埋蔵文化財調査成果展。
大谷山22号墳は、全国でも有数の古墳群である岩橋千塚古墳群のなかで、大日山35号墳とならび最大級の前方後円墳の一つで、大谷山の山頂に立地する。
大谷山22号墳。説明。
上ミ山古墳出土遺物。和歌山県内埋蔵文化財調査成果展。
砥石、鉄斧、埋木製棗玉、鉄鏃、水晶製切子玉、碧玉製管玉。
上ミ山古墳出土遺物。説明。
煎茶道具。和歌山城跡。武家屋敷跡から出土。和歌山県内埋蔵文化財調査成果展。
ユニークな形状をしている。
和歌山城跡。説明。
史跡見学後、本日最終の見学地となった根来寺へ移動。