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Channel: いちご畑よ永遠に
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ペルー クスコ 聖なる谷 モライ遺跡

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イメージ 1
クスコから聖なる谷へ向かう。バスから眺めるサクサイワマンとクスコ市街。
2015621()
本日は路線バスを乗り継いで、マラス、モライ、ウルバンバ、チンチェーロを見学した。宿でマラス方面行きのバス発着所を聞き、貰った地図を頼りに下町を歩き、尋ねながら街角でバスを見つけた。
 
イメージ 2
マラスのバス停。
クスコから1時間余りで到着。運賃は10ソレス。モライとマラスの塩田見学には、バス停に常駐するタクシーを利用するしかない。料金は60ソレス。バスから一緒におりた白人カップルは歩いて回っていた。
 
イメージ 3
モライ遺跡の駐車場。
背後の雪を抱いた高山が印象的。前日購入したクスコ周遊入場券で入場。
 
イメージ 4
モライ遺跡の駐車場。
ウルバンバ川を隔てた北側には雪山が並んでいる。ここマラス高原の標高は約3500mである。
 
イメージ 5
モライ遺跡。案内図。                   (拡大可) 
インカ時代の農業灌漑遺跡であるモライはケチュア語で「丸くへこんだ所」という意味である。
遺跡は4つのボウル状の窪み(ケチュア語でムユ)からなっている。
ムユにはカルスト平原のすり鉢状窪地(ドリーネ)を利用し、内部に人工的な盛土がされ、灌漑設備を備えた秩序だった農業テラス(段々畑)が作られた。
全体の面積は37ヘクタールで、数百トンもの土や岩を運んで作られた。
先インカ後期またはインカ期初期に建設が始まり、15世紀インカ拡大期の9代皇帝パチャクティの時代および16世紀の11代皇帝ワイナ・カパックの時代に拡充が進んだと考えられている。
 
イメージ 6
ケチュヨク・ムユ。
最も大きいケチュヨク・ムユは直径100m、深さ4060mだが、段々になっているのは下の24mだけである。
ムユは灌漑テラスが円形劇場の客席のように同心円状に並んでいる。
最上層と最下層との温度差は510度あり、この温度差を利用して異なる環境で育つ植物を植えて研究していた農事試験場であったといわれる。
現代の研究により、テラスの多くの地点で日照のタイミングと光量、気温、土壌の温度と水分量その他の数値を体系的に計測した結果、微気候のバリエーションが驚くほどたくさんあることが判明した。
 
また、モライは単に水利工学や実験農場という点で驚異なだけでなく、天文の観測所であり、巡礼センターでもあった。天文の観測により、暦がキープに記録され、暦の情報と特定の作物の栽培命令が、決められた日にモライに来た各地方の行政官に伝えられた可能性が示唆されている。
 
モライはクスコのコリカンチャ神殿を中心とするセケ・システムのうちの一つのセケ(線)上に連なっており、先インカ時代マラスを首都としていたアヤルマカ王国の構成氏族アヤルマカ族のインカ時代の聖所(ワカ)でもあった。
 
イメージ 7
北のウルバンバ川方向。
右の崖上から下り、ケチュヨク・ムユの周りを一周する周遊路がある。逆回りで回る人も多い。
 
イメージ 8
南西方向。
山の麓にあることが分かる。ケチュヨク・ムユの上部に線状テラスがあり、その先に一番小さいクチ・ムユがあるが見えない。
 
イメージ 9
周遊路を右から反時計回りに歩きだす。
1周は約15分余り。すぐに下りの道になる。
 
イメージ 10
ケチュヨク・ムユ。
 
イメージ 11
ケチュヨク・ムユ。
 
イメージ 12
シマ・ムユ。
 
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ケチュヨク・ムユ。
 
イメージ 14
ケチュヨク・ムユの西端上から遺跡入口の台地を見上げる。
 
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ケチュヨク・ムユの西端上から遺跡入口の台地を見上げる。
 
イメージ 16
ケチュヨク・ムユの南東上から見下ろす。
遺跡入口へ登る途中。
 
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遺跡入口の崖上から、
 
このあと、マラスの塩田へ向かった。
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クスコから聖なる谷へ向かう。バスから眺めるサクサイワマンとクスコ市街。
2015621()
本日は路線バスを乗り継いで、マラス、モライ、ウルバンバ、チンチェーロを見学した。宿でマラス方面行きのバス発着所を聞き、貰った地図を頼りに下町を歩き、尋ねながら街角でバスを見つけた。
 
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マラスのバス停。
クスコから1時間余りで到着。運賃は10ソレス。モライとマラスの塩田見学には、バス停に常駐するタクシーを利用するしかない。料金は60ソレス。バスから一緒におりた白人カップルは歩いて回っていた。
 
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モライ遺跡の駐車場。
背後の雪を抱いた高山が印象的。前日購入したクスコ周遊入場券で入場。
 
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モライ遺跡の駐車場。
ウルバンバ川を隔てた北側には雪山が並んでいる。ここマラス高原の標高は約3500mである。
 
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モライ遺跡。案内図。                   (拡大可) 
インカ時代の農業灌漑遺跡であるモライはケチュア語で「丸くへこんだ所」という意味である。
遺跡は4つのボウル状の窪み(ケチュア語でムユ)からなっている。
ムユにはカルスト平原のすり鉢状窪地(ドリーネ)を利用し、内部に人工的な盛土がされ、灌漑設備を備えた秩序だった農業テラス(段々畑)が作られた。
全体の面積は37ヘクタールで、数百トンもの土や岩を運んで作られた。
先インカ後期またはインカ期初期に建設が始まり、15世紀インカ拡大期の9代皇帝パチャクティの時代および16世紀の11代皇帝ワイナ・カパックの時代に拡充が進んだと考えられている。
 
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ケチュヨク・ムユ。
最も大きいケチュヨク・ムユは直径100m、深さ4060mだが、段々になっているのは下の24mだけである。
ムユは灌漑テラスが円形劇場の客席のように同心円状に並んでいる。
最上層と最下層との温度差は510度あり、この温度差を利用して異なる環境で育つ植物を植えて研究していた農事試験場であったといわれる。
現代の研究により、テラスの多くの地点で日照のタイミングと光量、気温、土壌の温度と水分量その他の数値を体系的に計測した結果、微気候のバリエーションが驚くほどたくさんあることが判明した。
 
また、モライは単に水利工学や実験農場という点で驚異なだけでなく、天文の観測所であり、巡礼センターでもあった。天文の観測により、暦がキープに記録され、暦の情報と特定の作物の栽培命令が、決められた日にモライに来た各地方の行政官に伝えられた可能性が示唆されている。
 
モライはクスコのコリカンチャ神殿を中心とするセケ・システムのうちの一つのセケ(線)上に連なっており、先インカ時代マラスを首都としていたアヤルマカ王国の構成氏族アヤルマカ族のインカ時代の聖所(ワカ)でもあった。
 
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北のウルバンバ川方向。
右の崖上から下り、ケチュヨク・ムユの周りを一周する周遊路がある。逆回りで回る人も多い。
 
イメージ 8
南西方向。
山の麓にあることが分かる。ケチュヨク・ムユの上部に線状テラスがあり、その先に一番小さいクチ・ムユがあるが見えない。
 
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周遊路を右から反時計回りに歩きだす。
1周は約15分余り。すぐに下りの道になる。
 
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ケチュヨク・ムユ。
 
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ケチュヨク・ムユ。
 
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シマ・ムユ。
 
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ケチュヨク・ムユ。
 
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ケチュヨク・ムユの西端上から遺跡入口の台地を見上げる。
 
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ケチュヨク・ムユの西端上から遺跡入口の台地を見上げる。
 
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ケチュヨク・ムユの南東上から見下ろす。
遺跡入口へ登る途中。
 
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遺跡入口の崖上から、
 
このあと、マラスの塩田へ向かった。
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クスコから聖なる谷へ向かう。バスから眺め

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