2015年6月23日(火)。
本日は聖なる谷の東端にあるピサック遺跡を見学することにした。宿でピサック行きのバス停の地図をもらい、町の東にあるバス停へ向かった。
宿のあるヌエバ・アルタ通りを下り、サン・フランシスコ広場を斜めに横断してアルマス広場方向へ向かう。
正面にアルマス広場とカテドラルがある。翌日の6月24日がインティライミの日なので、町中が祭りの準備で賑わっている。
大きな人形が置かれている。
角を曲がって、メインストリートのエル・ソル通りに入るとすぐ左側に、裁判所の建物が見えてきた。
エル・ソル通りから北へ入る。
2日前にコリカンチャを見学した。教会部分もなかなか味のある建物。
クスケーニャ・ビール工場南の道を東に進み、ピサック行きバス停に着いた。
9時30分にピサック経由ウルバンバ方面行きのバスに乗った。運賃は5ソレス。
ウルバンバ川の北岸にピサックの町がある。中央の低い山(ピサック山)の頂上付近にピサック遺跡の中心施設インティワタナ(太陽の神殿)がある。
町からタクシーや観光バスで右側から周り込んで、中腹の駐車場まで行けるようだ。しかし、3日後のマチュピチュ見学ではワイナピチュ登山を予定していたので、体力作りのため、麓から徒歩で登ることにした。
登山口は麓の左にあり、中腹を右上に登って行くコースになる。
ピサックはマチュピチュを建設したインカ帝国第9代皇帝パチャクティが聖なる谷に最初に築いた王領であった。ミニ・マチュピチュといわれる由縁でもある。
パチャクティがピサックを征服する前、この一帯のクヨ盆地は対岸奥の標高4000m以上の尾根上に築かれたムユチュルク遺跡を首都とする小政体により支配されていた。
ウルバンバ川下流域はクスコよりも温暖でトウモロコシの生産に適しており、儀式に欠かせないコカの葉などの産物が豊かなアマゾン熱帯地域への入口にあたっていた。パチャクティはまだインカの勢力圏ではなかったクヨ、オリャンタイタンボを征服し、ビルカバンバへ軍を進めていった。
パチャクティはクヨの人々を打ち負かすと、勝利を永遠に記憶させるために、クヨの首都の近くにピサックの宮殿と王領を建設した。
クヨの人々はパチャクティ殺害とインカ打倒の陰謀を企てたとして、ほとんどの人が殺された。
10時10分頃、ピサックへ渡る橋の手前のバス停で下車。
ウルバンバ川北岸沿いに幹線道路があり、橋を渡ると右側に遺跡方面へのタクシー乗り場がある。登山用入口へ向かうため、アルマス広場方面の町の中心方面へ向かった。
アルマス広場から左に行くと、入場口があることを帰路に知ったが、標識が分からなかったので、それらしい方向へ進んだが、間違った道だった。
運良く、入場口手前の道路に辿り着いた。10時50分ごろクスコ周遊入場券により入場。
山頂遺跡まで比高差約400mほどの急峻な登山道が続く。ルートは迷うことはない。利用者もそこそこいるが、ペルー人がほとんど。