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ペルー オリャンタイタンボ遺跡 太陽の神殿地区

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オリャンタイタンボ遺跡の入口。
2015625()
ペルーレイルのオリャンタイタンボ駅からマチュピチュ駅へ向かう間の時間を利用してオリャンタイタンボ遺跡の見学をした。1327分発だが1257分までに乗車しなくてはならない。
駅に荷物を預けて、遺跡入口に着いたのは1040分。出たのは1235分。約2時間の見学となった。クスコ周遊入場券で入場。
正面に見えるアンデネスと頂上の太陽の神殿跡ゾーンは、全体のほんの一部に過ぎない。
 
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遺跡全体の案内図。                            (拡大可)
左端が入口正面のアンデネスと太陽神殿の広場ゾーン。その右上の山上にインカワタナとよばれる建造物がある。太陽神殿のゾーンから横へ右に歩くと、穀物倉庫群がある。そこから下へ下ると
水の宮殿ゾーンがある。この順に回った。
 
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アンデネスと太陽神殿の広場ゾーン。
300段の階段(150m)の先に広場がある。
 
オリャンタイタンボはインカ帝国第9代皇帝パチャクティ(在位1438年~1476年)が建設した王領である。
パチャクティはアマゾン川へ注ぐウルバンバ川の上流から下流の順にあるピサック、オリャンタイタンボ、マチュピチュの順に王領を建設していった。
パチャクティはピサックやオリャンタイタンボの在地民族を征服したしるしとして王領を建設し、その後ウルバンバ川を遡り、木材や金銀の鉱物資源や儀礼に欠かせないコカなどの産物に恵まれたビルカバンバ地方の入口にマチュピチュを建設したのである。
オリャンタイタンボの建設のさいは、もとの首都の地を焼き払い、激闘の末捕えられた敵の統治者の息子たちを建設作業に加えた。
 
オリャンタイタンボのオリャンタイはパチャクティに仕えていた将軍の名で、タンボは休憩所の意味である。クスコとマチュピチュを行き来する旅人の宿泊所であり、マチュピチュの食糧基地でもあった。
 
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アンデネスの下。石材が置かれ、町の南にある山(ピンクイルナ山)が見える。
 
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の壁龕のある石壁。囲いでもあるらしい。
 
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アンデネス上段の広場。下から
78分で到着。
 
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太陽の神殿。
6個の巨石。
この部分は壁の一部で造りかけのまま放置されている。ガイドの説明を聞く欧米人学生らしい団体。
 
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広場の端から。対岸の山肌に見えるアンデネス。
 
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広場の端から。オリャンタイタンボの町に聳える山にインカ時代の穀物倉庫が見える。
 
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太陽の神殿跡。上部にも登れる。
 
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オリャンタイタンボの町と南に聳える山。
 
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南西側の穀物倉庫群へ至る平行道。
 
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太陽の神殿。
6個の巨石。
高さ4m、全体の幅10m、奥行1m。石の重さは180tから240tあるという。
太陽神殿の鮮やかなピンクがかった赤色の流紋岩は、遺跡から川を渡った対岸の山の斜面の高所にある採石所から運ばれた。
 
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回り込んで太陽の神殿上部へ。
 
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太陽の神殿を廻る巨石。
 
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太陽の神殿。周囲の石壁。
 
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太陽の神殿。上部から。下には石材が放置されている。
 
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太陽の神殿。上の地区。管理者の建物または軍隊の建物エリア。
 
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上の地区から見るウルバンバ川上流方向。
 
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上の地区の建物跡。
 
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上の地区の建物跡。
 
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上の地区の建物群跡を進むと門があり、インカワタナへの登山道がある。

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