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ボリビア 世界遺産 ティワナク遺跡 アカパナ

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ラパスの長距離バスターミナル待合室。
201573日(金)。
ウユニ塩湖の見学を終え、ウユニかたトド社の夜行バスでラパスへ未明に帰った。幸いラパスの長距離バスターミナルが近くにあるので、長椅子に座って、夜が明けるのを待った。
ここには、ティワナク遺跡見学ツアーの窓口があるので、日帰りツアーを予約した。830分から16時までで、70ボリ。他に入場料80ボリと昼食代。
帰りは、市内へ帰る途中でラパス空港に近い場所で下車した。翌日ラパス発午前340分、リマ着午前725分となる無料片道航空便を予約していた。
9時頃に、ティワナク行きツアーバスがバスセンター付近から出発した。
 
 
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ティワナク付近の風景。
ティワナクはティワナク文化の宗教的・政治的中心地で、インカ部族の発祥はティワナク文化圏であったことが確実となっており、宗教観や石造技術などを継承していたと考えられる点で興味深い。
 
首都ラパスの西約50km、チチカカ湖沿岸から南の内陸へ約17 kmほど入った標高3850mの高地にあり、BC3世紀からAD12世紀頃にかけて存在した都市遺跡である。ピラミッド神殿のアカパナや神殿複合建築カラササヤ、巨大な一枚岩で造られた太陽の門、巨神像などが現存し、赤地に多彩色で文様を描いた土器や石彫人像などが出土している。

ティワナク独自の文化が形成されてくるのは、BC12世紀頃からであるが、その文化が広範囲に広がり始めるのは紀元後400年頃からである。その最盛期は、おおよそAD750年頃からAD1100年頃で、その頃になると、北はペルー領のチチカカ湖北岸や南はチリのサン・ペドロ・デ・アタカマやアルゼンチン北部、東は現在のボリビアのコチャバンバ地方にまで影響が及び、これらの地方のいくつかにはティワナクの飛び地があったとされており、特にモケグアにはティワナク様式の土器やテラス状構造の基壇からなり方形の半地下式広場を持つ建造物が存在する。

最盛期は、ティワナク4期から5期前半である。ティワナク社会は、アンデスの先スペイン期社会においても最も長く続いた社会・文化の一つであり、現在のペルー領アヤクーチョ市を中心にティワナクと同時期に栄えたワリ文化とも関係があったとされている。

ティワナクとワリは、「正面を向いた神」や「鳥人」と呼ばれるモチーフの図像がある。ティワナクとワリで利用されているこれらのモチーフは非常によく似ている。また、これらの図像のモチーフ、特に正面を向いた神やネコ科動物などは、プカラというBC200年からAD200年頃にチチカカ湖北部を中心に栄えた文化と関連があるとされる。
 
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ティワナク遺跡。入口付近。
 
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ティワナクの復元想像図。
遺跡の中心部の面積は4.2km²、遺跡中心部におけるかつての人口は5万人と想定されている。周囲には巨大な堀が巡り、建造物の集中する区域とその外部とを隔てていたといわれている。
 
遺跡中心部分は、アカパナというピラミッド状建造物とカラササヤという長方形をした遺跡が主要な遺跡である。カラササヤにある「太陽の門」やいくつかの石像が有名で、半地下式方形広場には顔が壁から突き出して並んでいる装飾がなされており、真ん中に石像が立つ。
そのほか、プトゥニというカラササヤの前にある半地下式広場を持つ住居址、カンタタリータというアカパナの裏にある半地下式の広場を持つ建造物がある。
 
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ティワナクの復元想像図。
プトゥニの西側には二つのエリート宮殿が確認され、東西の宮殿の間には広場が広がり、祭祀や饗宴の場となっていた。
 
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遺跡配置図。南が上。
 
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遺跡配置図。南が上。
見学する遺跡には、南西方向にプマ・プンクというピラミッド状建造物が、中心部から外れたところにある。
 
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アカパナへ向かう。
 
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アカパナ。
いわゆる神殿ピラミッドである。ティワナクⅠ期(AD500800年)に建設され、AD800年頃に改築された。底部は200m四方で、高さは約17mである。全体は、やや変形したTの字形を呈し、全部で7段の階段状構造となっている。
 
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アカパナ。西側の階段から登る。
各段を支える土留め壁は、縦長に据えられた巨大な平石と、その両脇に何列にもわたって配置された小型の切石の繰り返しによって構成されている。
 
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アカパナ。
 
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アカパナ。
 
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北のカラササヤ。
 
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西方向。
 
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アカパナ。頂上。
頂上部には、ティティカカ湖周辺の古代文化で特徴的な半地下式広場が設けられていた。
広場は連続した方形の部屋によって囲まれ、部屋の内外から銀や銅などの金属製品の断片、リャマの骨、黒曜石や雲母、石英などの鉱物が出土している。これらは、部屋を最終的に放棄するさいの儀礼に使用されたものとみられる。
部屋は儀礼活動に携わったエリート階級の住居とみられる。
 
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アカパナ。頂上部。
ピラミッドの頂上はへこんでおり、もともとから凹みを持つ構造だったが、スペイン人が黄金探しのためさらに広げてしまった。また、ピラミッド内部に複雑な水路が走っていたことが近年の調査で明らかにされている。
 
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カラササヤと半地下式広場。
 
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カラササヤ。
 
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アカパナ。北東部の石積み。
 
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アカパナ。頂上部の石。
 
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アカパナ。頂上部。
 
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アカパナ。頂上部。
部屋や水路の跡と思われる。
 
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アカパナ。北東部の石積み。
 
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アカパナ。北東部の石積み。
 
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アカパナ。北東部の石積み。
 
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アカパナ。北東部の石積み。
 
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アカパナ。北東部の石積み。
 
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カパナ。北東部の石積み。
 
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アカパナ。北東部とカラササヤ。
 
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アカパナ。
ピラミッドの基礎からは頭のない人の遺体が出土しており、人身供犠が行われていたことが示唆されている。片手に大型の斧をもち、反対の手に首級を持った戦勝首級を描いた土器が多く出土している。
また、チャチャプマ(人間・プーマ)の石像が西側から出土。北側から土器の供物。頂上からはコンドルの骨などが出土している。
 
次は、カラササヤへ。

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