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ボリビア 世界遺産ティワナク遺跡 プマ・プンク

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ティワナク遺跡。カラササヤから遺跡入口方面へ戻る。
201573日(金)。
 
石に穿たれた孔には拡声器の機能がある
 
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遺跡から出土した石材類。
 
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アカパナとカラササヤの復元模型。
博物館内部は撮影禁であった。
 
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プマ・プンク。入口。
バスで移動し、主要遺跡とは対角線側の南西方向にあるプマ・プンクを見学。
 
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プマ・プンクへ向かう。
 
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プマ・プンク
プマ・プンクとは「ピューマの扉」の意味である。アルパナと同じくティワナクⅠ期(AD500800年)に建設されたが、アカパナと同じくその後の改築途上で放棄されたと考えられる。
3段の基壇状建造物で、高さ5m、底部が150m四方の大きさであり、入口は西側にあった。床は赤、緑、青で塗色されていた。
最上部には敷石で舗装された半地下式の中庭があり、雨水を排水するための水路が設けられていた。水路は青銅のかすがいで石を繋いで造られていた。
基壇の東には広場が広がるが、この広場と基壇の間には巨大な砂岩の切石で構成される柱廊があった。
 
アカパナとの関連では、インカの都クスコではウリンとハナンという南北の町が分かれて、異なる親族集団が存在していたように双分制が存在していたとする説があり、南の集団がプマ・プンクを、北の集団がアカパナを祭祀センターとして利用していたとする。
これは、ティワナクが周辺への進出過程で異なる民族集団を取り込んでいった痕跡があり、政治体制そのものが複数の民族集団から構成されていた可能性の反映と考える。
 
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プマ・プンク。
 
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プマ・プンク。
 
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プマ・プンクに転がる石材。
全体的に、ティワナクでは、遺跡の石材は豆腐状に長方形に切り出されたものが多く、その面は見事に平らである。いずれにせよ、今から千年以上前にこれほどの石材の切り出し加工技術が存在し、かつ鉄を利用せずに加工されていることには驚かされる。
 
これら石材の切り出しや加工方法、それに利用された道具については、諸説あるが、確実なことはわかっていない。一部では、亜円礫等のハンマーを用いて石材の表面を細かく叩いて平らにする技術(=敲製,敲打ペッキング)が用いられている。この技術は、インカ期にも利用されており、オリャンタイタンボ遺跡などインカ期の石材加工に用いられたことが確認されている。
 
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プマ・プンク。
 
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プマ・プンク。
 
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プマ・プンク。
 
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プマ・プンク。
 
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プマ・プンク。
 
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プマ・プンク。
 
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プマ・プンク。
 
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プマ・プンク。帰路。主要遺跡方面。
 
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昼食のレストラン。
ツアーの最後に遺跡近くのレストランで昼食。日本語の壁掛けに驚いた。
14時過ぎに、ティワナク遺跡を発ちラパスへ向かう。途中エル・アルトのラパス空港に近い場所で下車し、乗合バスに乗り換え空港へ向かった。
翌日ラパス発午前340分、リマ着午前725分となる無料片道航空便を予約していた。
あと残った旅行日程は、78日までナスカの地上絵観光とリマ市内で見残した部分の観光となる。

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