安平古堡の空撮図。
2016年12月5日(月)。台南市安平。
安平樹屋の見学後、南へ10分ほど歩いて安平古堡の入口に着いた。
オランダ統治時代のゼーランディア城の模型。安平古堡。
安平古堡は1624年にオランダ人により建設され、オランダ統治時代はゼーランディア城(熱蘭遮城、台湾城)といわれ、オランダ東インド会社による台湾統治と対外貿易の拠点であった。
安平古堡。
ゼーランディア城は行政の中心である「内城」と防衛用の「外城」で構成されていた。
ゼーランディア城の城壁跡。
古堡の西北側に、高さ約10mの壁が残る。
建設当時はセメントがなかったので、もち米汁、砂糖水、牡蠣殻灰、砂などから作られた三合土で築造された。
古い壁の上には梁の部分を固定し安定させ、脱落防止のために取り付けた「鉄ばさみ」、別名「壁鎖」という遺構も見ることができる。
史跡記念館と展望台。
明の永暦16年(1662年)、明の遺臣・鄭成功はオランダ人を駆逐し、台湾史上初めて漢人による政権が樹立された。鄭成功は熱蘭遮城を安平城と改称し、鄭氏政権3代にわたって支配者の居城となり「王城」と呼ばれるようになった。
1683年、清による台湾統治が開始されると、政治の中心は城内に移り、安平城は軍装局として用いられ、城砦の重要性は漸次低減、改修が行なわれることなく次第に荒廃していった。1874年、牡丹社事件後、派遣された沈葆は、台湾海防の充実のために安平城城壁を二鯤身に運搬、億載金城建設の資材とした。
日本統治時代、1896年に日本は安平税関の宿舎施設とするため、レンガを積み上げて現在の3段の平台を造成した。上部には安平税関高官の公邸が造られたが、1930年に洋風の迎賓館に改築されて、現在は史料館となっている。
展望台は1908年に移築した清代の灯台をもとに、1975年に上部の三角屋根を追加したものである。
安平古堡石碑。旧浜田弥兵衛功績碑。
1638年に、関税撤廃を要求してオランダ行政長官を捕え長崎に入牢させた日本人商人浜田弥兵衛の事績を記念して日本統治時代に「贈從五位濱田彌兵衛武勇之趾」と刻まれた石碑が建てられたが、戦後「安平古堡」と書き換えられた。
ゼーランディア城。古絵図。史跡記念館の展示。
1644年のゼーランディア城。古絵図。史跡記念館の展示。
オランダ人の武器。史跡記念館の展示。
鄭成功軍の武具・武器。史跡記念館の展示。
展望台。
赤い屋根のタワー型建築で、高さは約6mある。修理工事中のため立入り禁止。
安平古堡を20分ほど見学し、外に出た。
陳家蚵捲。
安平古堡から東南へ徒歩数分の角地にある。台南で初めて蚵捲(カキの巻き揚げ)を売り出した有名店。
蚵捲(カキの巻き揚げ)。陳家蚵捲。
店内に入り、注文の方法が分からずにまごついていたら、台湾人の若い女性に、伝票に記入して、先に注文と会計を済ませることを教えられた。
要するにカキフライで、私の大好物なので美味い。
15時15分になり、台南市街の見所が残っている。豆花は前夜、台南駅前の屋台街で食べたので、有名店の「安平同記豆花」と「周氏蝦捲」は諦めた。
北へ10分ほど歩いて、東にある安平古堡のバス停へ着いた。15分ほど待って、バスに乗り、台南市街へ帰った。