徳記洋行。
2016年12月5日(月)。台南市安平。
赤崁楼前のバス停で安平方面行きの88番バスに乗車。台湾運河の周囲を回り、清朝の名臣、沈保禎により1874年に建てられたフランス式の要塞である億載金城の外壁を眺めながら、安北路の安平古堡バス停に13時50分頃到着。時間がないので、徳記洋行・安平樹屋と安平古堡のみ見学する予定。安平樹屋はミシュランの二つ星でトリップアドバイザーでも一番人気。
安平古堡バス停からは北へ徒歩5分ほどと近い徳記洋行・安平樹屋をまず見学することにした。
徳記洋行はアヘン戦争後、1865年に開港された安平に1867年に設立されたイギリス商人の貿易会社で、茶葉の輸出業および保険と銀行の代理業を経営して、安平五大洋行の一つとよばれた。
日本統治時代、アヘンと樟脳が日本の専売になると、アヘン、樟脳、砂糖などの大口取引を扱っていた外国商社は次々と撤退し、徳記洋行の土地・建物は1911年台湾製塩株式会社が買収し、戦後は台湾製塩総工場の事務庁舎として使った。1979年からは蝋人形館、現在は貿易史の資料館として開放されている。
西洋風の2階建ての白い建物は南向きに建てられ、以前は行員宿舎として使用されていた。屋根はトラス構造で瓦が敷かれ、左右二つの屋根からなる四つの傾斜で排水がされている。
1階は通路を挟んだ左右にそれぞれ3部屋あり、東西南の三方は周囲に拱廊(アーケード)が廻らされている。2階は1階と同様の構造であるが、回廊の欄干には緑釉瓶の装飾が施され、白い漆喰の壁と相まって、東洋と西洋の建築様式が入り混じっている。
右側の入口から入り、政治家・書家の朱玖瑩の旧居で書を見てから、徳記洋行へ。
徳記洋行。小学校のグラウンドの先に安平古堡の塔が見える。
西洋人が台湾で建設した家屋の多くは拱廊が採用され、雨水と日差しを避けるためにアーチが設計の重要な要素として取り入られた。徳記洋行はその代表的な例である。
徳記洋行。内部。
徳記洋行。内部。
徳記洋行の招牌(看板)。昭和3(1928)年。
旧台南市入船町に掲げられていたもの。入船町は安平港から台南市内に開かれた5本の運河が流れ込んでいた五條港地区にあった。
安平樹屋。
徳記洋行の裏手にある安平樹屋へ。安平樹屋は同じ敷地にある徳記洋行の倉庫跡で、日本統治時代は大日本塩業株式会社安平出張所の倉庫とされていた。
ガジュマルが建物の内外に絡みつく様子が熱帯の廃墟跡を想像させ、人気がある。
安平樹屋。
ガジュマルの木の樹幹は壁に沿って成長していき、枝や葉が屋根になって、天然の芸術作品のようになっている。
安平樹屋。
安平樹屋。
安平樹屋。
屋上部には遊歩道が設けられている。
安平樹屋。
安平樹屋。
安平樹屋。
安平樹屋。
安平樹屋。
安平樹屋。
安平樹屋。
安平樹屋。
ブリッジ歩道と安平樹屋。
樹屋の端にはブリッジ歩道の先に展望台が設けられている。池には足踏み式水車が置かれている。
展望台からの眺望。塩水渓が流れている。
展望台からの眺望。
かつての五條港の運河の出口にあたる場所で、清代には外国船が出入りしていたが、徐々に土砂が堆積して運河の機能は失われた。
台江内海にはマングローブが繁茂している。
安平古堡へ向かう。