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台湾 基隆市 二沙湾砲台 海門天険

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役政公園。
2016127()。基隆市。
九份から11時過ぎに、基隆行きのバスに乗り、基隆の海門天険へ向かった。
歩き方を見たら、海門天険ぐらいしか見るべき史跡がなかった。「海門天険」は通称で、正式には基隆二沙湾砲台とよばれる。「海門天険」の文字が刻まれた城門は砲台の中央部にある。
 
一級古跡なのだから選択は良かったと思うが、アクセスが分かりづらく、時間も要した。
中正公園の北端から延びる道伝いに徒歩20分、または基隆駅前からバスで海門天険下車とある。徒歩20分だけ見て、中正公園入口から歩いたが30分以上要した。中正公園の北端まで20分以上は要するので、この20分という表現を安易に信じて失敗した。
グーグルマップを見ながら歩いたが、南の二沙湾砲台入口付近に、海門天険と表示されており、文字が刻まれた城門の場所は実際は砲台跡の北ないし下部にあるので、なかなか辿りつけない状態に陥らせられた。基隆駅前からバスかタクシーの方が良かったのかもしれないが、海門天険の城門の発見は至難のわざ。2度同じ園路を歩いてようやく発見したが、時間のロスは大きかった。
帰りはタクシーを運よく捕まえて利用できたが、安かったのでタクシーを使えばよかった。
 
基隆行きのバスに乗り、田寮河沿い信一路の中國信託商業銀行基隆分行あたりで下車。上り坂の壽山路を登っていった。大きな寺院風の資料館に立ち寄ったり、途中には野犬が群れていたりする人通りの少ない道路を30分以上歩いて、野犬がいる歩道を歩き、左折して、まもなく戦車や重火器がならぶ地区に到達。ここは役政公園といい戦闘機や軍艦の一部など陸海空軍の武器を展示する公園であった。
 
さらに北へ歩くと、二二八記念塔を経て、公園に着いた。若いカップルが座っていたりする公園の中をさらに歩くと、ようやく二沙湾砲台の説明板が出現した。
ここから北の基隆港方面へ下る丘の斜面に二沙湾砲台(海門天険)の遺構が残っている。
 
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二沙湾砲台の説明板。
イギリスは1840年のアヘン戦争後に台湾へ侵攻しようとした。清は二沙湾にそびえる丘が基隆港を広く遠くまで看視できるという地理的優位性を考慮し、丘の上に砲台を建設した。砲台には大小8基のカノン砲が設置され、城門には海門天険という文字が刻まれた。
イギリス軍は翌年8月に侵攻したが、清軍指揮官の達洪阿が兵を率いて反撃し、複数の英軍艦を沈め、多くの英兵を捕虜とした。その後3年間英軍は攻略してきたが、その都度撃退された。
1884年、フランスと清の戦争が始まると、基隆はフランス軍に占領され、二沙湾砲台も破壊されたが、城門と外壁は残された。
1895年の日本への併合後は、戦略上の変化により二沙湾砲台跡は荒廃したままとなって残った。
 
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別の古い説明板。
1885年の休戦後、台湾知事の劉銘傳により二沙湾砲台は再建された。砲台群の二つの主要砲台のうち一つが清朝時代も残ったという。
清の近代式砲台建築として、砲台の四周に防御用の連絡通路を設け、小型陣地を連続して廻らしている。8インチのアームストロング砲が東砲座区、6インチのアームストロング砲が北砲座区にそれぞれ弾薬庫を伴い据えられた。
「海門天険」とは天然の険しさを備えた海の門という意味である。
 
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二沙湾砲台案内図。
 
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二沙湾砲台案内図。凡例。
古井戸から下へ階段を下ると、地図中央の「営盤区(Millitary camp site)」という兵営地区があり、その下部の城門に「海門天険」の文字がある。
入口に近い右側に東砲座区。左側に北砲座区。北砲座区と古井戸の間のスロープを下って、「海門天険」の城門に近付くこともできる。
 
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基隆港周辺の地図。
清代なのか日本統治時代なのか不明。
 
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清代末期の砲台群。
 
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東砲座区。
 
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東砲座区。
 
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北砲座区へ。
手前の道標に、左へは営盤区へ行くということが示されている。
 
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北砲座区からの眺望。湾口の和平島方面。
和平島はもとは社寮島といい、国分直一が発掘調査をしているので、見てみたかった。
 
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北砲座区からの眺望。北の基隆港対岸。
 
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北砲座区。
 
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湾口の和平島方面。
古井戸まで行ったが、営盤区という言葉が理解できていなかった。また、下に営盤区があるというような風景でもなかった。
入口に帰り、もう一度案内図を確認して、営盤区の位置を了解した。
北砲座区と古井戸の間のスロープを下って、「海門天険」の城門に近付いた。
 
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「海門天険」の城門。
 
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「海門天険」。劉銘傳の揮毫という。
 
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「海門天険」の城門下の広場。
 
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「海門天険」の城門上から対岸の基隆港。
城門付属の階段を登ると、城門の上から四周を眺めることができる。
 
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「海門天険」の城門上から営盤区。
 
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「海門天険」の城門上から北西方向。右が付属階段。
 
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営盤区。「海門天険」の城門方向。
 
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営盤区から古井戸地へ登る石段。
 
1340分頃、二沙湾砲台を出て、壽山路を戻る。時間がなくなりかけてきたので、運よく通りかかったタクシーに乗り、基隆駅へ向かう。
 
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基隆港。
工事中の基隆駅で台鉄の時刻表を入手。台北駅で下車し、地下鉄で新北投駅へ向かった。

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