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三重県津市 平氏発祥伝説地 坂本山古墳群 

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平氏発祥伝説地。津市産品。

2017511日(木)。

津市の郊外、産品の地は平清盛の父忠盛が生まれた所といわれ、忠盛の胞衣塚や産湯を使ったという産湯池があって、伊勢平氏発祥地の伝説地として県指定史跡となっている。


平忠盛は正四位下但馬守に進み武士として最初に内の昇殿を許され、平氏繁栄の基礎をつくった。このときの様子を「平家物語」では、眇(すがめ)な田舎武士の昇進をねたんだ公卿が「伊勢瓶子(平氏)は素甕(眇)なり」とはやしあざけったとある。
ただし、これらの歴史的事実を文献で立証することは困難で忠盛出生地のことも未だ伝説の域を出ない。
 
高望王を祖とする桓武平氏は、その子国香、孫貞盛・将門のころには東国に土着し勢力を張っていた。しかし、平将門の乱、平忠常の乱以後東国は源氏の地盤となり、貞盛の子維衡の時に伊勢・伊賀を根拠地とするようになり、寛弘3年(1006)維衡は伊勢守に任ぜられている。
 
10世紀後半以降,伊勢に勢力を占めた平氏には,維衡流と平良兼の孫致頼の一流があった。両流の998(長徳4)および1030(長元3)の両度の合戦の結果,維衡流が伊勢平氏としての地位を確立した。伊勢平氏は伊勢国多度神宮寺を氏寺とし多くの庶家を分出し伊賀・尾張にまで勢力を拡大した。
 
維衡の子正度のあと、子たちも伊勢・伊賀の各地を支配した。貞衡は安濃津三郎を名乗り安濃津を、正衡は伊賀北部を、季衡は北勢を治めた。
 
維衡―正度―正衡―正盛(―忠盛―清盛)へと継承された系統は、朝廷の諸衛官人・検非違使に任ぜられるとともに,有力貴族の私的武力としての家人になり京都で活躍し,また受領の郎等として地方にも勢力を扶植,さらには院の北面・近臣の地位を獲得することになり、伊勢平氏の嫡流となった。
 
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平氏発祥伝説地。説明板。
 
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産品地区周辺案内図。
 
北西近くにある坂本山古墳公園へ向かった。
 
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坂本山古墳公園。
4号墳。津市片田志袋町。
津市の西郊外に位置する長谷山丘陵一帯は坂本山古墳群を中心に数百基以上の古墳が確認されている。
坂本山古墳群は4世紀末から5世紀初頭に築造された方墳群である。245号墳が現存している。
 
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坂本山古墳公園。説明板。
 
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坂本山古墳公園。
5号墳。
 
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坂本山古墳公園から眺める産品地区。平氏発祥伝説地は右奥。
古墳公園の表示がないので、10分ほど捜した。産品地区から進入した道路右上のコンクリート壁の上側にあった。 

このあと、松阪市松ヶ島町の松ケ島城跡へ向かった。

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