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三重県松阪市 織田信雄・蒲生氏郷の居城 松ケ島城跡

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松ケ島城跡。松阪市松ヶ島町。
2017511日(木)。
松ケ島城は三渡川の河口近くの浜堤に築かれた城である。中世以前は海が入り込み、城は伊勢湾に面していたと考えられる。付近には、安濃津から伊勢神宮へ向かう参宮街道があり、海陸交通の要衝であった。
 
天正81580)年織田信雄(信長の二男で当時は北畠氏の当主)が、南伊勢統治の居城を田丸城(渡会郡玉城町)からこの地に移し、本格的な築城を行った。織田家一門の中核的な城郭として威容を誇り、五層の天守がそびえていたという。
天正12年、豊臣秀吉の部将蒲生氏郷により攻め落とされ、蒲生氏郷は12万石の大名として入城した。氏郷に従って近江日野から商人が移住し城下町を形成した。
しかし、城下が手狭だったため、天正16年に氏郷が松坂に築城し、城と城下町は松坂に移転した。城下の町人や社寺はすべて強制移住させられて、松ケ島はもとの一漁村に変容した。
 
ここに残る指定地は俗に天守山と呼ばれ、付近から金箔をおした古瓦片などが出土しており、本丸天守台の跡と考えられる。
 
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松ケ島城跡付近遺跡案内図。
古図や検地帳には天主跡・堀之内・丸之内・城の内・南之内・日の丸といった城郭名や、殿町・本町・西町・紙屋町・ほうく町・鍛冶町という町名が見え、往時の繁栄をしのばせる。
 
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松ケ島城跡から西方向を眺める。
 
23号線松ヶ島町交差点から北東に入り、狭い県道に着くと、右横の狭い路地に松ケ島城跡へ向かう道標があった。余りに狭いので躊躇したが、この路次しかないと悟って進むと、畑とビニールハウスの中に城跡の高台が見えてきた。
 
翌日は、明和町の斎宮遺跡を見学するので、「車中泊まとめWiki」で見つけた玉城町の大仏山公園へ向かった。

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