水池土器製作遺跡。国史跡。明和町明星。
2017年5月12日(金)。
水池土器製作遺跡は、斎宮で使う土器が作られたとされる奈良時代の土器製作集落跡。
伊勢平野の南部、松阪市と伊勢市のほぼ中間にある北に延びた高低差約10mの段丘の一端に位置する。奈良時代の工人集団の遺跡で、西方約2kmには斎宮跡がある。
発掘調査の結果、高低差約3m、幅約100m、長さ約200mの傾斜のゆるい場所に、掘立柱建物跡4棟、竪穴住居跡3棟、土器焼成坑16基、土坑11ヵ所、粘土溜り2ヵ所、井戸跡1、溝1条などが見つかった。
遺構は溝で区画されたなかに建物を中心として焼成坑が配され、井戸もあって、生産関係の遺跡として一つのまとまりを示しており、わが国の土器製作遺跡としてその製作の実態をうかがわせる重要な遺跡である。
現在、一帯は水池史跡公園になっており、入口に広い駐車場がある。車中泊した玉城町の大仏山公園からは至近距離にあった。
掘立柱建物跡。
土器焼成坑。模型。
土器焼成坑はほぼ二等辺三角形で、長さ2.6~4.2m、幅1.2~1.8m、深さ0.2~0.4mの地山を掘っただけの簡単な構造で、壁面や床面は赤く焼けており、炭や灰の交じった土中には多量の土師器片があった。これらの土器の年代は奈良時代前半期のものだが、溝からは灰釉陶器も出土している。
このあと、西の斎宮歴史博物館へ向かった。9時前に着いたが、9時30分開館だったので、関連施設を先に見学することにして、史跡全体模型近くの「いつき茶屋」横の駐車場へ。
斎宮歴史博物館は1990年代はじめに見学しているが、斎宮跡全体の遺跡はその後、発掘や施設整備が進展している。2015年には、「祈る皇女斎王のみやこ斎宮」として日本遺産に認定された。
1/10史跡全体模型。
斎宮寮の復元模型。斎王が暮らしていた内院などが復元されている。
近鉄斎宮駅の真北にある。
このあと、すぐ東にある「さいくう平安の杜」を見学。