宝塚1号古墳。模型。松阪市。松阪市文化財センター「はにわ館」。
2017年5月12日(金)。
宝塚古墳は三重県松阪市宝塚町・光町にあり、伊勢湾を遠望する丘陵に位置する、大小2基の伊勢地方最大の前方後円墳である。一帯では、1928年に推定も含めて88基の古墳が確認されていたが、開発によって現在は、中心的古墳といえる2基だけになり、現在は宝塚古墳公園として公開されている。
宝塚古墳1号墳は前方後円墳で。全長111m、後円部径75m、前方部最大幅66m、最大高10mである。前方部を東に向け、北側のくびれ部には祭祀の場と考えられている造り出しがある。5世紀初頭の築造と考えられる。
古墳時代の全時期を通して伊勢国最大の前方後円墳である宝塚1号墳は、伊勢の王墓として他を圧倒する規模をもつ。対岸にあたる三河湾岸愛知県西尾市の正法寺古墳も本古墳と類似した形状をしており、両古墳は、伊勢湾、三河湾などの水上交通で覇権を得て、強大な勢力を有した関西系豪族により作られたものとみられる。
宝塚1号墳に葬られた人物は、近畿地方との深いつながりをもち、近畿地方から東国への玄関口にあたる伊勢湾西岸の広い範囲を支配する立場にあった人物と想定される。
この地の豪族だった飯高氏の祖、乙加豆知命(おとかずちのみこと)の墓とする説もあり、墓の北西約1kmにある阿形(あがた)を本拠地とした飯高氏は、大和朝廷に接近して繁栄したと考えられている。
宝塚1号墳の発掘調査では、古墳のマツリの場とされる「造り出し」の周囲から多くの埴輪が出土した。とりわけ、船形(ふねがた)埴輪は第一級の埴輪資料の発見として、全国的な話題となった。
図書館裏の無料駐車場に駐車。入館料100円。
宝塚1号墳から出土した日本最大の船形埴輪。重文。
日本最大、唯一立体的な飾りをもつ船形埴輪で、全長140cm、円筒台を含めた高さ90cm、最大幅25cmと、これまでに出土した埴輪の中では最大規模で、実見すると圧倒されるほどの大きさである。
船上に立てられた刀・2本の杖(つえ)・日傘などの立体としての飾りは、他に例のない、わが国唯一のもの。この船は、古墳に葬られた人物の生前の業績をあらわす物という考えと、死者の魂をあの世に運ぶ「葬送船」という説がある。
古代の葬送儀式で使われた船に権威を示す様々な品物を船上に立てて飾る風習を立体的に表現したものとして、学術的に最高水準の資料であると評価されている。
船形埴輪の図解と各部名称。
特筆すべき特徴として、他に類例のない豪華な装飾があげられます。船首と船尾には、権威を象徴する複数の鰭(ひれ)状突起で飾られている。また、船体中央には同じく権威を象徴する蓋(きぬがさ)と呼ばれる日傘、王のもつ杖とされる威杖(いじょう)が2本、威厳を示す大刀が立てられている。このような装飾がほどこされた船は、古墳石室に描かれた壁画、円筒埴輪に描かれた線画で知られていたが、立体的な形で確認されたのは、今回が初めてとなった。
宝塚1号墳から出土した日本最大の船形埴輪。
弥生時代になると、丸木舟を土台としてその上部に部材を足して大型化を図った「準構造船」が造られるようになった。宝塚古墳が造られた古墳時代中期にも準構造船が使われていた。
この船は、大きな波も乗り越えられるように船首と船尾が大きくせりあがった形をしており、波の荒い外海での航海も可能であった。
船を進める艪を差し込むピボットは、左右3対ずつ計6ヵ所あり、艪穴は一定方向に開けられており、船が進む方向もわかった。
ただし、宝塚1号墳の船は船首・船尾のせりあがりが極端であること、ピボットの数が少ないこと、船体中央に立てられた飾りも大きく造られていることなどから、実際の船の形を忠実に再現したものではない。
宝塚1号墳から出土した日本最大の船形埴輪。
この船形埴輪を詳しく観察すると、表面の窪みに赤色の塗料(ベンガラ)が残っていることが分かった。このことから、造られた当時の船形埴輪は赤色に塗られていたと考えられる。
古代から、赤色には「神聖なものを護り、邪悪なものを退ける」力があると考えられていたので、船形埴輪に塗られた赤色は、宝塚古墳に葬られた人物の魂が何者にも邪魔されず黄泉の国へ旅たつことができるようにとの願いが込められていたのかもしれない。