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三重県松阪市 松阪市文化財センター「はにわ館」 宝塚1号古墳 水の祀りにかかわる埴輪群

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造り出しに置かれた埴輪の模型。宝塚
1号古墳。松阪市。松阪市文化財センター「はにわ館」。
2017512日(金)。
宝塚1号墳の発掘調査では、古墳の北側に、祀りの場とされる「造り出し」と呼ばれる幅約18m・奥行き約16mの舞台状の場所が設けられ、古墳本体とは土橋でつながっていた。これは、「造り出し」という「祀りの空間」が定型化していく過程のものとして、また当時の古墳での祭祀の形態を考える上で極めて重要な発見であった。
造り出しの周りから140点もの埴輪が、当時置かれたままの位置で出土した。古墳で行なわれた祀りの様子を研究する上で大変貴重な資料として、平成18年に国の重要文化財に指定された。
 
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造り出し東側の埴輪群模式図。
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囲形(かこいがた)埴輪。導水。
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囲形埴輪。
高い塀に囲まれた空間に家形埴輪が置かれている。家の中には水を流す溝が造られている。
これらは水に関係のある「祀り」の場を表し、古墳に眠る人物がこの「祀り」に関わっていたと考えられる。三重県内では、伊賀市の城之越(じょのこし)遺跡や津市の六大A(ろくだいえー)遺跡で水にかかわる「祀り」の場が見つかっている。
 
奈良県御所市にある南郷大東遺跡では宝塚1 号墳の囲形埴輪に表された導水施設とよく似た施設が見つかっており、水の祀りが行われた場だと考えられている。この遺跡からは水を溜める槽と水を流す溝を持った木樋が見つかっており、不純物を沈殿させ、浄化された水を取り出す仕組みが造られていたことが分かっている。この浄化された清らかな水を使って祈りを捧げていたとされる。
 
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造り出し西側の埴輪群模式図。
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囲い形埴輪。湧水。
 
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囲い形埴輪。家の中には井戸を表す筒状のものが造られている。
 
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盾形(たてがた)埴輪。
戦いで身をまもる盾をかたどった埴輪。実際の盾は、木製あるいは皮製であった。円筒埴輪の台に粘土板を貼りつけて盾面をつくり、その表面に鋸歯文(きょしもん)・斜格子文(ななめこうしもん)などの文様を線で表している。宝塚1号墳から見つかった盾形埴輪は、すべて古墳の外側に向けて立てられていたことから、邪悪なものから古墳をまもる役割があったと考えられる。
 
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盾形(たてがた)埴輪。
 
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家形埴輪。
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屋根の構造から入母屋造り、寄棟造り、切妻造りに分けられる。宝塚
1号墳のものは入母屋造りであることや、鰭(ひれ)飾りをもつものがあることから、特別な意味を持つ建物を表していると考えられている。古墳の中の重要な場所や、その周辺に置かれることが多いことから、死者の魂が生活する場所、生前暮らしていた住居を表したものという説がある。
 
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蓋形(きぬがさがた)埴輪
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貴人にさしかける日傘をかたどった埴輪。その名のとおり、傘部分に絹をはり、傘上部には羽のような立飾りでその威容を強調している。
船形埴輪の船上にも、蓋が立てられている。
 
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家形埴輪と草摺り埴輪。
 
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円筒埴輪。
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古墳のまわりや斜面の途中に設けられた段で、ならんだ状態で見つかることから、死者が葬られている場所を区画する柵のような役割をもっていたと考えられている。
 
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宝塚
2号墳の模型と円筒埴輪。
宝塚2号墳は1号墳の北に位置し、前方部が短い帆立貝式と呼ばれる前方後円墳である。全長89m、後円部径は約83mで造り出しをもつ。時期的に、1号墳より後の5世紀前半頃に築造されたと考えられ、1号墳に葬られた人物の後継者の墓であると考えられている。
2号墳も周囲に埴輪が並べられていた。また、古墳の頂上では、死者を葬った後にその上で儀式をおこなった場所と考えられる小石が敷きつめられた区画が確認された。 

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宝塚
2号墳の円筒埴輪。
2号墳では、1号墳で出土した壷形埴輪は発見されていない。その代わりに、壷形埴輪と円筒埴輪が一体化した朝顔形埴輪が出土した。
 
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須恵器。子持器台。古墳時代後期。西野
5号墳出土。
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このあと、樹敬寺の本居宣長の参り墓を見学し、道の駅「津かわげ」へ向かった。

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