西安の朝明け。東の玉祥門方向。
2017年7月7日(金)。
クラブツーリズムの西安ツアー3日間の2日目。1日目の西安到着が5時間遅れになったので、日程が変更になったが、予定見学地はすべて見学できた。バスの出発時間は7時30分。
6時30分から朝食バイキング。内容は安いホテルなのでそれなりのものしかない。
ホテルの紫金山大酒店は城壁北西の玉祥門の南東300mほどの地点にある。6時過ぎに、14階の部屋の窓から東の玉祥門方向を眺めた。
感心したのは、ロータリーの下に自動車道を通していること。
西安の朝明け。
城壁の北西角の向こうには高層ビルが林立している。ビル群は5・6年前から建設されたという。
城壁内には規制があり、高層ビルはない。
西安の城壁。
4階の食堂から。明代西安城の城壁がようやく眺められた。城壁の外側に水濠と緑地緩衝帯があるので、自動車道からは200mほどの距離がある。
明代西安城の城壁は中国全国で唯一完全に残されている城壁で、明代初期に唐の長安城壁を基礎として構築された。周囲13.7kmの長方形で、高さ12m、基礎部分の幅は15~18m、上部の幅は12~14mあり、レンガで築かれている。城壁の外側には攻撃孔が開いている。4つの方向にそれぞれひとつの城門があり、全体は外濠に囲まれている。
明代西安城(薄茶色)と唐代長安城(黄緑色)。
玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典などを保存するために大雁塔が建てられた大慈恩寺は唐代長安城の中にあったが、現代の西安市の中心である明代西安城からは遠く離れている。
西安市の人口は800万人ほどなので、唐代長安城の区域はすっかり都会化している。
西安東郊の兵馬俑坑博物館へ向かう。
バスは滻(さん)水を渡り、灞(は)水を渡っていく。このあたりに、新石器時代の有名な遺跡である半坡遺跡がある。
秦時代の咸陽城と始皇帝陵。 (拡大可)
秦始皇帝陵及び兵馬俑坑は西安北東30kmの驪山(りざん)の北麓にある。始皇帝陵の西、驪山北西端の麓には楊貴妃で有名な華清池がある。
秦時代の咸陽城と漢の長安城。
始皇帝陵と兵馬俑坑。
驪山(りざん)の北麓にあるため、北の渭(い)水に向かって地形は下っている。
鴻門の会の場所は始皇帝陵北東の崖の上にあった。
紀元前206年、楚の項羽と漢の劉邦が、秦の都咸陽郊外で会見した故事で名高い。
秦末の反乱のとき,先に秦の本拠地の関中 (陝西省) に入った者が王となる約束であったが,劉邦が先に占領したので不満をもった項羽が函谷関から入って劉邦を撃破しようとした。その衝突を心配した劉邦の将軍の張良や項羽の叔父の項伯らが和睦をはかり,咸陽の入口の鴻門で両者を会合させた。
項羽の謀将范増 (はんぞう) は会合の機会を利用して劉邦を殺そうとしたが劉邦は張良・樊噲(はんかい)らに助けられて,脱出に成功したという。
兵馬俑発見者の記念館。楊志発氏と妻。
8時30分頃に兵馬俑坑博物館の駐車場に着き、近くにある兵馬俑発見者の記念館兼住居を見学した。
1974年3月29日、臨潼県西揚村の住民6人が村の畑に井戸を掘ろうとして土を掘っていた際に、住民のひとり楊志発氏によって兵馬俑の最初の破片が発見された。
1mほど掘ったら赤く硬い土が出て、普通のスコップでは歯が立たなかった。道具を取り替えてさらに4mほど掘ると、頭のない人形が出てきたという。
発見者は7人の村民だが、ガイドによると公式には楊志発氏ひとりが兵馬俑発見者とされているという。
後の壁にはクリントン大統領との記念写真が貼られている。
83歳の楊志発氏と記念写真を撮るツアー客も多い。無料なので問題はない。
兵馬俑を発見したさいに使用した鍬。兵馬俑発見者の記念館。
兵 馬俑坑博物館。入口。
9時頃だったので、混み始める前だった。
入口から10分ほど歩く。
兵馬俑坑博物館。1号坑展示館入口。
兵馬俑坑博物館。2号坑展示館と文物展示館方向。
兵馬俑坑博物館の南にそびえる驪山(りざん)。