Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

西安 秦始皇兵馬俑坑博物館 1号坑展示館

$
0
0
イメージ 1
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
201777日(金)。
紀元前221年に初の中国統一を遂げた秦の始皇帝(趙正)は、前246年に秦王に14歳で即位し、同時に陵墓の建造に着手した。兵馬俑坑から出土した兵器には当時の相邦(宰相)呂不韋の銘文がある。
210年に始皇帝は亡くなり、二世皇帝(胡亥)が即位し、始皇帝は驪山(りざん)に埋葬された。始皇帝陵の工事は継続され、前208年ごろまで続いたとみられるが、兵馬俑坑は1号坑から3号坑まで完成し、4号坑は未完成となった。
207年に二世皇帝は自殺し、前206年に秦王子嬰は劉邦に降り、秦は滅んだ。同年、項羽は子嬰を殺し、秦の宮殿を焼いた。兵馬俑坑も盗掘され、一部が焼かれたという。
 
イメージ 2
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
兵馬俑が納められた俑坑は4つあり、秦の軍隊の編制を象徴している。1号坑は右軍で、歩兵と戦車兵の混合部隊で主力部隊。2号坑は左軍で、戦車兵と騎兵の混合部隊。3号坑は指揮部隊。4号坑は中軍だが、兵馬俑は発見されていない。
軍団の向きは東方向で、戦国時代のライバル国の方向を向いている。
 
1号坑は長方形で、東西230m、南北62mの大きさである。すべてが発掘されているわけではなく、1000体以上が発掘されており、全部で6000体の兵馬俑が埋まっていると推定されている。
 
イメージ 3
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
坑には10の隔壁(坑の天井の梁を通す版築台)で細長く区切られており、その間の廊下に兵馬俑が並ぶ。まず、木柱を立て、天井は重量を受ける梁桁を挟んで、梁と梁の間に棚木を並べて屋根とした。柱の間には版築の壁を造った。廊下の幅は3.5mであった。棚木の上にはむしろを敷いて、2.5mの版築で着き固められた土の層を被せていった。
 
イメージ 4
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
戦車は全部で8台が並んでいる。戦車の前には歩兵が4列縦隊で並び、戦車の後ろには鎧兵の隊列が並ぶ。戦車には将軍、御者、武官が配置されていたが、将軍俑は展示されていない。戦車は木製のため朽ち果てて残っていない。
 
イメージ 5
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
戦車は4頭立てであった。
 
イメージ 6
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
やや低い観覧位置に移動すると、間近にみられる。
正面には軽装の兵士が三列横隊に並んでいる。
 
イメージ 7
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。東側正面の観覧台。
観覧台から兵馬俑坑の地面までは10mほどの高さがある。
現在の地表より2m下に秦代の地表面があった。そこから5m掘り下げて地下坑を造った。
表示のある場所が最初に発見した場所。
 
イメージ 8
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。東側正面の観覧台下。レンガの部分。
 
イメージ 9
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。秦の馬。
秦の祖先は今の甘粛省に居住した遊牧民であり、馬の飼育に長けていたため、周から秦の地を賜ったという。西方や北方の遊牧民と交流し、外来の馬を集めて種を改良していった。
兵馬俑の馬は、高さ170㎝余りで、漢時代の馬より頭が大きく、足は太く短く、首も太くて胸が広く、尻が大きい。
秦の時代には鞍はあったが、鐙はまだなかった。
 
イメージ 10
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
兵馬俑にあるひげと髪型は個人個人で違っている。兵士の多くは腰まで伸びた長髪を頭頂部で髷で結っていた。
 
イメージ 11
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
修理中の兵馬俑。粘土の材料は黄土であった。上に軽く下に重い構造をしている。中は空洞で、焼成のさい破裂を避けるための通気孔が設けられた。頭や手は別に製作して焼いたあとに嵌め込まれた。
 
イメージ 12
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
修理中の兵馬俑。
 
イメージ 13
秦始皇兵馬俑坑博物館。1号坑展示館。
西出口から東の入口正面方向。
 
3号坑へ向かう。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles