世界遺産。大慈恩寺・大雁塔。西安。
2017年7月7日(金)。
大雁塔は西安最古の建築物で、玄奘三蔵がインドから将来した仏典・仏像を収めるために建てられた塔である。
大慈恩寺は、唐の第2代太宗のとき648年(貞観22年)、皇太子の李治(高宗)が、亡母(文徳皇后)追善のため、北魏時代の浄覚寺および隋の大興城にあった無漏寺の故地に建立した。寺名は「慈母の恩」に由来する。
寺の規模は、子院(塔頭)10数院を擁し、建築物は総数1,897間、公度僧だけで300名という大寺であった。
玄奘三蔵は貞観19年1月(645年)に帰国し、657部の経典を長安に持ち帰った。玄奘は、太宗の勅命により、2月から弘福寺の翻経院で翻訳事業を開始した。この事業の拠点は後に大慈恩寺に移った。さらに、持ち帰った経典や仏像などを保存する建物の建設を次の皇帝・高宗に進言し、652年、大慈恩寺に大雁塔が建立された。
帰朝した玄奘は、本寺の上座となり、訳経に従事する。麟徳元年(664)に、玄奘三蔵は62歳で没する。訳業19年、死の間際まで漢訳への翻訳に打ち込んだが、持ち帰った経典の約3分の1しか訳せなかったという。
玄奘三蔵が翻訳した経典の数は、大般若経600巻をはじめ74部1335巻にのぼる。玄奘の弟子である基(窺基)は、師から相承した法相宗を宣教し、「慈恩大師」と呼ばれた。
南側入口から入場。寺の女性ガイドに引率されて見学。
大慈恩寺・大雁塔。
唐代半ば以降、大慈恩寺の境内には、大きな戯場があり、俗講や見世物が行われていた。また、牡丹の名所としても知られ、それを詠んだ多くの漢詩が知られ、藤も植えられていた。春には、寺が所有していた南にある通善坊の「杏園」で杏の花が、夏には、寺の南池で蓮の花が咲き、秋には、柿がなり、紅葉につつまれたと伝えられる。
845年(会昌5年)の、武宗による会昌の廃仏の時には、大薦福寺・西明寺・大荘厳寺と共に、廃寺を免れた。
しかし、唐代末期に戦乱のため焼き払われ、現存するものは当時の十分の一に過ぎない。
明時代の1550年(嘉靖29年)に、現在の大慈恩寺が建立されたといわれる。
大雁塔。大雄宝殿。
当初は5層の塔であったが、則天武后の時代に改造して10層になった。しかし、戦乱などで上部が崩壊し、現在は7層で高さは64 mである。
その後、1550年頃に重修されており、人民中国成立後にも修築されている。
塔の名は、菩薩の化身として雁の群れから地上に落ちて死んだ1羽を埋葬したことに由来する。
各階に仏舎利がおさめられ、経典は上層部の石室に置かれていた。当初は表面を磚に覆っただけで土によって作られていたために、老朽化してしまった。そのため、武則天の統治時代に、全て磚でつくられ、上まで登れるようになり、現在の7層の塔になった。
唐代には、杜甫、章八元、岑参など多くの著名な詩人が、大雁塔を登った時に詩を詠んでいる。
また、進士試験の合格者が大雁塔に登って、壁に記念の署名をしたことから、「雁塔題名」の成語も生まれた。
27歳の白居易が進士になった時は、「慈恩塔下題名処、十七人中最少年」と書き残した。また、訪れるものに自分の名を書くものもあり、唐代の詩人、李商隠の名が残っている。また、日本から訪れた円仁も登ったことがあった。残念なことに北宋神宗年間の大火で貴重な壁は焼け落ちてしまった。
大雄宝殿へ登る。
大雄宝殿内の本尊。釈迦像。
新しい仏堂。
数年前に建てられた仏堂。屋根瓦は愛知県の三州瓦。
大 雁塔。
大雁塔は楼閣式、レンガ造りの塔で、高さは64.517m、底辺は25m、形状は四角錘。底辺42.5×48.5m、高さ4.2mの、レンガ造りの土台の上に建つ。
塔内には木製の螺旋階段があって、上へ登ることが出来る。各階の四面にはアーチ状の入口があり、そこから外を眺めることができる。階段は最上部7階まで250段続いている。
ここで、寺の女性ガイドが、大雁塔へ登る人はいますか。いませんよね。という風に一行に尋ねた。私は当然登るつもりだったので、もう一人の男性と二人で登ることになった。
ツアーの男性ガイドが塔下の入場券売り場へ引率し、登楼料を払って登った。
時間がなさそうだったので、あわてて登った。最初は上り専用階段だったが、降りる人も多く、怒鳴ってどいてもらった。しかし、帰るときは私も、間違えてこの階段を下ってしまった。
5分ほどで、最上層に到着。
大雁塔。最上層。東方向。
開口部はガラス窓になっている。
大雁塔。最上層。北方向。城璧方向。直下は公園となっている。
大雁塔。最上層。西方向。
大雁塔。最上層。南方向。
南だけは、ガラス窓の中央下の一部が刳りぬかれており、カメラを直接外界に突き出せる。そのせいか、人が滞留しやすい。
大雁塔。最上層。南方向。
初めて西安盆地を囲む山並みが見えた。直下の南側広場の中央には玄奘三蔵像がある。
大雁塔。螺旋階段を下る。
大雁塔。下層階。唐時代のレンガ。
大雁塔。下層階。1999年にインドの玄奘寺から寄贈された舎利容器。
大雁塔。下層階。三蔵法師が訳した経巻。
大慈恩寺境内の待合室にあった切り抜き。中部経済新聞。2011年6月3日。
日中仏教交流協会(本部・名古屋市)の名誉会長である大慈恩寺の住職が名古屋に来て、東日本大震災復興の義捐金として10万円を寄付するとともに、日本経済復興のため新寺院の屋根瓦に三河の三州瓦を使用するという援助を表明した。
大雁塔。南側広場。玄奘三蔵像がある。バス車内から。
大慈恩寺を出たのは18時30分過ぎで、閉まりかけの通用門から観光客が大勢出ていった。
翌日は、空港に近い漢陽陵博物館見学を残すのみとなり、初日の5時間遅れの影響はなくなり、予定見学地を網羅することができた。ツアーに付き物の絨毯店、工芸品店という土産屋も回った。
明代長安城城壁。南側。20時頃。夕食後、ホテルへ帰る途中。