オルドス式馬首青銅刀。春秋時代。BC770~BC403年。
台北。国立歴史博物館。
2017年10月19日(木)。
オルドス式熊柄青銅刀。春秋時代。BC770~BC403年。
オルドス青銅器文化は、BC6世紀からBC1世紀の頃、内モンゴル南部のオルドス地方など、陰山山脈と万里の長城にはさまれた地域に栄えた文化。旧地域名綏遠(すいえん)から、綏遠青銅器文化とも呼ばれる。大量の青銅器を出土することで古くから知られる。近年になって墳墓の発掘調査も行われている。青銅器はスキタイ様式に強い影響を与えた、モンゴル高原西部から南シベリアに分布していた遊牧民からの影響が見られる。歴史上記録のある狄、匈奴、特に西戎と関係がある。
この地域では後期旧石器時代から青銅器時代に至る遺跡・遺物が発掘されている。青銅器文化はBC8世紀頃(中国史では周の時代)からBC1世紀頃(前漢)まで続いた。
初期は北方のカラスク文化の影響を受けると共に、周の青銅器文化の影響も受けている。BC7世紀頃からは、スキタイにも強い影響を与えた武具、馬具や、動物(特に猛獣が草食獣を襲う場面など)のデザインが、この地方にも現れる。特に南シベリアのタガール文化と共通のデザインが多く、直接影響を受けたと考えられている。
古い時代にはこの地域に居住した牧畜民は狄と総称されていた。
匈奴は記録上、BC紀元前3世紀に南下してオルドスに現れた(ただしそれ以前のオルドス文化の遺物も、匈奴のものとする説もある)。その後、趙と秦がオルドスを支配したが、BC209年匈奴に敗れた。匈奴は再び南に勢力を伸ばし、冒頓単于の下でBC160年頃月氏の領域に入った。敗れた月氏はサカを破り西方へ追ったが、後には月氏自身も中央アジアに追われることになる。匈奴はこの時期にオルドス地方を征服し中国と直接接触した。前漢は武帝の時代に匈奴との戦いを開始し、BC127年にオルドス地方を征服した。
オルドス式羊首青銅刀。漢。BC206~AD220年。
前漢時代には、北方草原地帯の文様が中国でも好んで使用された。
銅金銀箔虎噛羊文帯飾板。戦国時代。BC403~BC221年。
中国北方遊牧民文化の服飾品で、墓から同種のものが出土する。この種の帯飾板は2枚1組で、帯の正面に対称形につける帯留めと思われる。虎が羊を捕えて食おうとしている場面が意匠化されている。
錯金銀とは金銀を象嵌すること、または金銀によるメッキをいう。
錯金銀獣面銅舗首。戦国時代。BC403~BC221年。
舗首は門扉や箱の鐶(把手)の座金を意味し、獣面が鐶を咥える形にデザインされた。この作品のように豪華に象嵌された青銅製の部品は、東周時代後期の贅沢な品々に用いられる装飾的な付属品を構成する重要な要素である。鋳造され、象嵌、鍍金などが施された青銅製の同様の獣面はしばしば、青銅製もしくは漆塗りの木製の容器の上にみられる。より大型のものは木製の棺の把手として用いられ、格別大きなものは恐らく墓の通路で入口の扉の把手の役割を果たしていたとみられる。
蝠文銅舗首。戦国時代。BC403~BC221年。
蝠(ふく)はコウモリ(蝙蝠)のこと。
1時間30分ほど見学して、外に出た。