2か月ほど前、NHKラジオ「ラジオラジル」の聴き逃がし番組で、斎藤成也氏の文化講演会「日本列島人はどこから来たのか~先端科学DNA解析でさぐる」を聴いて、ヤポネシア人とアマゾン原住民、台湾原住民との近縁性、出雲ヤマト人と関東ヤマト人の二重構造などが面白かったので、『日本人の源流――核DNA解析でたどる』(斎藤成也著、2017年)を読んでみた。ヤポネシアという言葉は1980年代半ばに島尾敏雄の著作を読んでいたので違和感はない。
第2章「出アフリカ」
出アフリカを反映する人口の変動。
ヨーロッパ人。7~8万年前に人口の急激な減少。アフリカからヨーロッパ方面への移動。
東アジア人。6~7万年前に人口の急激な減少。アフリカから東ユーラシア方面への移動。
出アフリカが2回あった可能性。
アジア人の3つのルート。
- インドを経てスンダランド(東南アジア島嶼部)に着いた集団は、3~4万年前、スンダランドに残った集団とサフールランド(ニューギニア、オーストラリア)に行った集団に分かれる。その後、東アジア、南北アメリカへ移動した人々もいる。
- ユーラシア大陸の東に移動した人々の一部は、東アジアに移ったのち、揚子江流域で9000年前に稲作を始めた。その後の多地方への拡散としては、東南アジアへ南下、台湾経由で南下、弥生時代以降に日本へ移動などに分かれる。
- シベリアを東に行った人々は、西ユーラシア人との混血を経て、南北アメリカへ移動。
東アジア人、スンダランド人、西ユーラシア人(コーカソイド)の系統仮説は主に2説ある。
A.西ユーラシア人と東ユーラシア人(東アジア人・スンダランド人)は別系統。
B.西ユーラシア人と東アジア人は同系統、スンダランド人は別系統。
西ユーラシア人と東アジア人にゲノム配列に近縁性があるので、B説を前提に西ユーラシアから東ユーラシアを経て東アジアへ移動した系統にスンダランドから北上した系統が混血して東アジア人が形成されたとするC説が提唱された。アメリカ先住民の皮膚色が薄いことからも裏付けられる。
第3章「最初のヤポネシア人」
ヤポネシア(日本列島)への渡来。
4万年前の旧石器時代(4万年前~1万6000年前)に渡来。
氷河期。大陸とほぼ陸つづき。東ユーラシア人の古系統。
縄文時代(1万6000年前~3000年前)。
沖縄へは九州から縄文式土器が伝わる。先島諸島には台湾、フィリピンからの影響が認められる。
埴原和郎が1980年代に提唱した「二重構造モデル」。
旧石器時代に、東南アジアに住んでいた人々の子孫が移住してきてこの列島に住みつき縄文人を形成した(土着縄文系)。
弥生時代には北東アジアに住んでいた人々の一系統(寒冷気候に適応した集団)が渡来、水田稲作農業を導入し北部九州から列島中央部に移住、縄文人の子孫との混血を重ね、現在の日本列島に居住する多数派(ヤマト人)を形成した(渡来弥生人系)。
縄文人のうち、渡来弥生人とほとんど混血しなかったヤポネシア北部の人たちがアイヌ人、南部の人たちがオキナワ人の祖先となった。
ただし、縄文人、弥生人の起源は不明。
福島県新地町の三貫地貝塚から出土した東北縄文人のミトコンドリアDNA。
ハプロタイプはM7a2とN9b。
北海道縄文人、関東地方縄文人、アイヌ人・ヤマト人・オキナワ人等日本列島周辺の現代人集団と比較すると、北海道と東北の縄文人は明確なグループを形成するが、関東の縄文人は現代の日本列島人と近い。
アイヌ人はこれらの縄文人よりもウルチ人(樺太島の対岸大陸地域に居住)、ネギタル人(アムール川河口の西北部に居住)、オホーツク人、ウデゲイ人(ハバロフスクから少し南の中露国境付近に居住)にかなり近い。ウデゲイ人は縄文人のミトコンドリアDNAをある程度受け継いでいる。
三貫地縄文人の核ゲノムDNA配列の分析。
現代人における縄文人の系統的位置。
シベリア古代人から西ユーラシア人が分岐。次に、5万年前にサフール人が分岐。次に三貫地縄文人が1万5000年よりずっと古く分岐、1万5000年前にアメリカ先住民が分岐、最後に東アジア5集団が分岐した。
三貫地縄文人はサフール人よりも多く、南米原住民、アマゾンの部族、スルイ人、カリティアーナ人と共通のDNAを持つ。
第4章「「ヤポネシア人の二重構造」
縄文人と弥生人の混血は、3~7世紀、古墳時代・飛鳥時代から始まる。
東北地方に住んでいた縄文人の子孫は北海道に移動した。
オキナワの縄文人の子孫と弥生人の混血は飛鳥時代から平安時代に相当する。
日本の人口。1865年は3300万人。815年は550万人。BC1000年弥生時代早期は29万人。
(以上での縄文人は東北縄文人で、西日本縄文人とは別系統であることに注意)。
縄文人は東ユーラシアの北方集団(モンゴル人、北方中国人など)や南方集団(ベトナム人、南方中国人など)ともかけ離れた集団であることがわかった。縄文時代の人々がどこから来たのかは、いまだに謎なのである。
縄文人の祖先が分岐したのはいつごろか。「オーストラリアやパプアニューギニアに移動した集団が分岐したのが約5万年といわれるので、5万年より古くはないでしょう。2万~4万年前の間ではないかと考えられます。日本列島に人類が現れるのが約3万8000年前の後期旧石器時代ですから、4万年前あたりの可能性は十分にある」と指摘。「旧石器時代人と縄文時代人のつながりは明確にあると思う。後期旧石器時代はもともと人口が少ないですから、日本列島にいた少数の後期旧石器時代人が列島内で進化し、縄文人になった可能性も考えられます」と語る。