重文・近代化遺産・四日市旧港港湾施設。四日市市高砂町地先。稲葉翁記念公園から対岸の潮吹き防波堤を眺める。
2017年5月10日(水)。
四日市旧港港湾施設は総延長199mの湾曲した防波堤、総延長77mの直線状の西防波堤などからなり、明治27年の建設で、明治期に建設された港湾施設の姿を良く残しており、わが国の築港技術の近代化の過程を示すものとして貴重である。とくに防波堤は、他に類例を見ない水抜穴を持つ二列構造をとっており、技術的に見てきわめて価値が高い。
西防波堤の側の陸地に顕彰碑、同じくその付け根に「明治廿七年五月建立」の銘をもつ記念碑がある。
四日市旧港港湾施設。説明板。
古くから良港として知られた四日市湊が、近代港湾としての形を整えたのは明治15年(1882)のことである。1854年の安政の大地震以降、大きく破損し、衰退した四日市港を再建するため、地元の廻船問屋稲葉三右衛門が私財を投じて開始した改修工事は、途中三重県への移管を経て三右衛門自身の手により完成し、このとき現在旧港とよぱれる港湾施設のおおよその形が整えられた。その後明治22年の暴風雨と翌年の台風によって防波堤が破損したため、同26年から公営による改修工事が着手され、翌年に竣工している。
潮吹き防波堤。レプリカ。
防波堤は高低差のある2つの堤を平行に並べ、内側の高い堤に5角形の水抜き穴をつくる特異な構造をもつ。その特異な構造から「潮吹き防波堤」の名で知られている。
防波堤は、総延長199mで、旧港湾内を包み込むように湾曲して延びる。埋立て高4.7m(以下大堤という)と3.7m(以下小堤という)の防波堤が平行する二列構造をとり、大堤には五角形の水抜穴が49か所設けられている。
後年、大堤の上部にコンクリートによるかさ上げが行われ、水抜穴も埋められているが、先端部約14.7mはかさ上げと水抜穴の封鎖がなされなかったために、旧状を残している。
潮吹き防波堤。レプリカ。
この特徴的な防波堤の構造は明治27年の改修時に設けられた。改修工事を請け負ったのは服部長七であり、彼が発明したとされる人造石工法がこの防波堤にも用いられている。
港外側の小堤を越えた海水が両堤の間にある溝にたまり、水抜穴から港内に流れ出すようになっており、波の力を弱める構造により、波の力を直接受けて防波堤が破損することを防いでいる。
水抜穴から海水が流れ出す様子から「潮吹防波堤」の名で親しまれている。この特徴的な形態の考案者は、服部長七ともオランダ人土木技師ヨハネス・デ・レーケとも伝えられるがいずれも確証はない。
潮吹き防波堤。説明板。
稲葉三右衛門君彰功碑。
顕彰碑は、私財を投じて四日市港築港に貢献した稲葉三右衛門の功績をたたえるため、明治37年に建てられた(本体には「明治三十六年六月建」の銘がある)もので、石積基壇の上にフルーティングのある西洋古典様式風の柱身が載る。
直線距離で1㎞ほど南にある末広橋梁へ移動。
重文・近代化遺産・末広橋梁。四日市市末広町。
末広橋梁は、三重県四日市港に所在する跳開式の鉄道可動橋で、四日市港修築工事による第一号埋立地(末広町)と第二号埋立地(千歳町)間の千歳運河に架けられている。
全長58m、全体では五連の桁より成るが、鉄道起点寄りの第二連目から第四連目の三連が可動橋本体部にあたり、中央の一連(第三連目)が第二橋脚上に建てられた門型鉄柱側に跳ね上がる可動桁となる。
可動橋型式は、門型鉄柱の頂部に架け渡されたケーブルにより可動桁の一端を持ち上げるケーブル・タイプで、設計製作は、アメリカ留学の経験を有する山本卯太郎の主宰する山本工務所で、昭和6年12月の製作になる(可動桁主桁側面中央及び門型鉄柱頭部の銘板による)。
中央の可動桁は、回転軸廻りを除けば標準的な50フィートの単線下路式鋼鈑桁で、可動桁前後の第二連目と第四連目の鋼鈑桁も標準的な40フィートの単線下路式鋼鈑桁であるが、第五連目の鈑桁は、いわゆるポーナル型の20フィート上路式鈑桁になる。
門型鉄柱は高15.62mで、100mm角のアングル材で組み立てられている。また、鉄道起点寄りの第一橋台と第一橋脚の間は跳上装置の機械室となっており、機械室の脇に木造平屋建の運転操作室を建てる。橋台及び橋脚はコンクリート製になる。
末広橋梁。説明板。
末広橋梁は、四日市旧港港湾施設(平成八年十二月十日重要文化財指定)とともに四日市港の発展過程を示す土木遺構として貴重であり、陸上輸送と運河舟運とが拮抗していた時代状況を物語る典型的な橋梁遺構としての歴史的価値を有する。また、日本近代における橋梁コンサルタントの草分け的存在であり、可動橋を専門とした山本卯太郎の代表的橋梁作品として橋梁技術史上の価値が高い。
末広橋梁。
「鉄の橋百選」に選ばれている。線路に近付く見学者もいるようだ。
末広橋梁。
実際に貨車が通る風景が想像される。
16時30分頃だったが、橋梁方向へ入る通勤車を数台みかけた。
このあと、四日市市内のスーパー銭湯「満殿の湯」で入浴(500円)し、道の駅「津河芸」へ向かった。