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旧片上鉄道吉ケ原駅駅舎。岡山県美咲町。国登録有形文化財。平成
26年5月13日(火)。和気町の見学を終え、国道374号線を北上し、美咲町の柵原ふれあい鉱山公園へ向かった。案内標識から右折し、旧片上鉄道吉ケ原駅駅舎の左にある広い駐車場に駐車。片上鉄道は柵原鉱山の硫化鉄鉱を輸送するために建設された。1919年に鉄道会社が設立され、1923年に片上・和気間が開通し、1931年柵原までの営業距離33,8㎞の全線が開通した。鉱石は片上港から船で近県の硫酸工場へ輸送された。片上鉄道は地域住民の通勤・通学の足としても利用されたが、鉱山の閉鎖や利用者数の減少により1991年に廃止された。現在、旧片上鉄道吉ケ原駅駅舎と線路を含めた駅構内一帯が柵原ふれあい鉱山公園として整備保存されている。駅舎の多くはとんがり屋根の山小屋風の建物であった。
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旧片上鉄道吉ケ原駅駅舎。駅構内には片上鉄道のディーゼルカー・ディーゼル機関車・客車・貨車計
11両が展示され、客車の中に入ることができる。Image may be NSFW.
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柵原鉱山資料館へ向かう。
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旧片上鉄道吉ケ原駅駅舎。車両は毎月第
1日曜日には動態展示され、試乗もできる。鉱山資料館へ向かう。Image may be NSFW.
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鉄鉱石輸送貨車と貨車兼車掌車(ワフ
102)。鉄鉱石の積み込み風景が再現されている。柵原鉱山資料館横。Image may be NSFW.
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柵原鉱山資料館。展示。旧片上鉄道のタブレット式閉塞器。資料館では、昭和
30年代の柵原鉱山の様子や坑夫の生活を紹介するとともに、実物大の坑道と地下400mでの採掘作業を再現し、採掘から輸送までの工程を紹介している。Image may be NSFW.
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柵原鉱山跡。ふれあい公園の北西
500mから鉱山跡を眺める。柵原鉱山は東洋一の硫化鉄鉱の産地として知られた。硫化鉄鉱には硫黄が52%と鉄が45%含まれており、大正時代以降は化学肥料(硫安)や化学繊維製造に必要な硫酸の原料として採鉱された。1915~30年は藤田組(のちの同和鉱業)が採掘権を買収していた。石油精製時に硫黄が得られるようになったことなどで、1991年に閉山した。かつてのシンボルであった竪坑の巻き揚げ機の大きな櫓は取り壊され、面影は少ない。旧坑道の一部は農業生産に利用されているという。鉱山跡入口には、同和鉱業系の会社の工場などが現在も稼働しているようだった。
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月の輪郷土館。美咲町。月の輪古墳の出土品が展示されている。柵原鉱山資料館で郷土館を見学したいというと、受付の女性が電話してくれたが、地元の鍵の管理者と連絡がとれなかった。
とりあえず、郷土館に着いて、記載の連絡先に電話したが、やはり不通であった。1週間以前に日時を依頼する方式だと、見学する機会は逸してしまう。
旧飯岡小学校付近で月の輪古墳への道案内を見つけたので、徒歩で歩きかけたのち、車で月の輪古墳へ向かった。
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月の輪古墳。入口。林道は整備されているが、麓からは結構遠い。発掘調査作業時の苦労が偲ばれた。ここから100mほどに墳丘登り口がある。
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月の輪古墳。県史跡。
5世紀前半に築造された大型の円墳で、墳丘の直径約60m、墳頂平坦部の直径約17m、墳丘の中腹に幅約1mの段をめぐらしている。Image may be NSFW.
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月の輪古墳。墳丘斜面には角礫の葺石が葺かれている。
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月の輪古墳。墳頂に設けられた角礫による方形区画の中には、楯・兜・甲・家型などの埴輪が配置され、墳頂下約
1.5mには木棺粘土槨が2基埋められていた。中央の棺からは勾玉の首飾り・鏡、短甲・刀・鉄鏃などが、南側の棺からは首飾り・石釧・漆塗りの竹製櫛・鉄製縫い針などの副葬品が出土した。Image may be NSFW.
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月の輪古墳。墳頂から東の吉野川(吉井川支流)方面を眺める。
北側の造り出しからは舟形土製品が出土し、古代の吉井川における河川交通輸送と被葬者の関係が考えられる。また。麓の集落からは古墳時代の鉄製品の鍛冶場が発見されている。
昭和28年から、岡山大学の近藤義郎など研究者の指導のもと、地域住民・教師・生徒が協力して発掘調査にあたった様子は「地域考古学の原点・月の輪古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」)」新泉社で読んだ。三笠宮崇仁が発掘現場を視察する場面が面白かった。終戦直後の民主化教育の熱意は今はない。
このあと、国道を戻り、和気町の天神山城跡へ向かった。