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ホーチミン市 統一会堂 戦争証跡博物館 パイン・セオ

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ホーチミン市。統一会堂。2013年1月27日(日)。歴史博物館見学後、タクシーで統一会堂へ。南ベトナム政府の大統領官邸として建設された。1975年4月30日解放軍の戦車が官邸の柵を倒して敷地へ進入した映像は世界の現代史に残るシーンである。アメリカ軍も撤退し、大きな戦闘も報道されなくなって、唐突に終焉を迎えたあっけなさが記憶に残っている。

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統一会堂に突入したT-54戦車。当時のソ連製の戦車が敷地内で展示されている。建物の前は大きなロータリーになっているので、右から回り込んでいくと、周回路の右に展示されていた。

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内閣会議室。

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国書提出室。各国の大使が大統領に国書を呈上した部屋。壁一面には立派な漆絵で国の歴史の物語が描かれており、官邸の中でも最も豪華な部屋といわれる。

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地下の作戦司令室。

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地下の通信室。アメリカ本土と直接に連絡を交わしていた。

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地下の大統領寝室。

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地下の大統領司令室。

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屋上のヘリポート。

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バルコニーへのロビー。

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バルコニーから中庭とかつて戦車が突入した正門の柵方向を見下ろす。
見学後、徒歩で戦争証跡博物館へ。

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戦争証跡博物館。統一会堂と同じく内外の観光客であふれかえっていた。

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戦争証跡博物館。沢田教一氏が1966年にピューリッツアー賞を受賞した作品「安全への逃避」
が展示されている。ベトナム戦争で殉職した世界各国のカメラマンたちが作品とともに数十人ほど紹介されている。日本人も数人いる。

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戦争証跡博物館。ベトナム戦争はアメリカ軍による化学兵器の実験場となった。枯葉剤による後遺症の被害は甚大である。
被害者の写真。「37歳となったフンは脳性麻痺またはパーキンソン病の症状が進んでいた。彼を支える12歳の長男ハオ(写真右)が森で出会ったころのフン少年とそっくりであった。写真の撮影地点は、76年にフンと出会った枯れ木の森と同じ場所である。枯れ木はすでになく、背後は輸出用のエビの養殖池に変わっていた。フンは、闘病のかいなく2008年に他界した。」と、ベトナム語、英語、日本語で説明されている。
一連の展示コーナーは、日本がかなり資金協力をしている。

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ホリマリン漬けの奇形胎児標本。1982年。ツーズー病院。

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アメリカ軍兵士の標準装備。

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記念写真に収まるアメリカ軍兵士と斬首されたベトコン兵士の死体。戦場では誰もが精神異常者となり、平気で残虐行為をしてしまうと説明している。

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戦争証跡博物館。屋外にはベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車などが展示されている。
17時近くになり、ホテルへ帰る。

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パイン・セオ。フォーと並ぶベトナムの名物B級グルメ。パリッと焼けた外皮の中にエビ、豚肉、モヤシが入っている。パリパリの皮を割って具と一緒にレタスで巻いて食べる。
それほど美味いものでもない。
ホテルにパイン・セオの店は近くにないかと尋ねたら、北の大通りの反対側にいい店があると教えられた。道路を渡るのは大変だったが、何人かに店名を見せてなんとか辿り着いた。店内は若者たちのグループや家族連れで満員で、活気あふれるホーチミンの一端を味わうことができた。
翌日はクチトンネルツアーと市内見学。

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