マドンナは1958年ミシガン州に生まれた。高校を成績がオールAの優等生として卒業、ミシガン大学へダンス部門の奨学金を得て進学した。1978年大学を退学して、ニューヨークへ移り、キャリアが始まった。
ホリデイ (Holiday) 1983年、米16位。
ボーダーライン (Bordorline) 1983年、米10位。
ラッキー・スター (Lucky Star) 1984年、米4位。
ライク・ア・ヴァージン (Like A Virgin) 1984年12月、米1位。
イントゥ・ザ・グルーヴ(INTO THE GROOVE)1985年、ダンス部門1位。
パパ・ドント・プリーチ (Papa Don't Preach) 1986年、米1位。
オープン・ユア・ハート (Open Your Heart) 1986年、米1位。
ラ・イスラ・ボニータ (La Isla Bonita) 1987年、米4位。
コモーション (Causing A Commotion) 1987年、米2位。
チェリッシュ (Cherish) 1989年10月、米2位。
チェリッシュ (Cherish)は、2007年1月21日版のイギリス、タイムズ誌ではマドンナの曲の中で「パパ・ドント・プリーチ」、「マテリアル・ガール」を押さえて史上最も優れたポップ・ソングの一つとして賞賛された。
軽快なリズムと爽快なヴォーカルはモータウンに習い、80年代風にアレンジしたポップ・チューンである。
1990年の「Vogue」以降は、洋楽の環境悪化により、聴く気がなくなった。
80年代後半に車の中でよく聴いたのがマドンナであり、唯一の自作のCDには「ホリデイ」「ボーダーライン」「ラッキースター」の3曲が入っている。
83年から84年にかけ、この順でヒットしていったのだが、私がマドンナを知ったのは次の2枚目のアルバムの「ライク・ア・バージン」で、84年の暮れぐらいだと思われる。この曲はたけし・さんまの「おれたちひょうきん族」でもパロディーをするぐらいの注目度があった。
音楽やファッションで、マドンナ以前以後、「ライク・ア・バージン」以前以後という感覚がある。
基本は今も昔もクラブ・ハウス・ダンスミュージックなのだが、80年代の楽曲のメロディーラインは美しい。「チェリッシュ」も名曲である。
「ホリデイ」は20年ほど前カラオケで歌ったこともあるが、当時20才代の他の若い人たちは知らなかったので、一般的には今でも知られていないだろう。この曲を聴きたくなるのは最後のピアノソロがしゃれているからだ。こんな聴き方をしているのは私だけだろう。
15年前「ラッキースター」をMP3化して、カシオエクシリムで聴いたら最初のキラキラ音が左右に細かく移動していったのには驚いた。
彼女はイタリア系移民の出身なのでカトリックのはずだが、十字架のペンダントがPVでよく目立った。当時同様にファンだった本田美奈子がマドンナの路線を踏襲し、十字架のペンダントを身に着けてマドンナ風な曲をテレビで歌い踊っていたのは印象的で、私が当時の職場で十字架のペンダントを土産商品に開発した主な要因になった。
2008/5/4投稿を改変。