レッド・ツェッペリンled zeppelin 。イギリスの元祖ハードロックバンド。
ジミ・ヘンドリックス、クリームのブルースロックからブルース色を薄めていき、ハードロックのバンドスタイルを確立した。
アメリカのロックバンドであるボストンやハートなど多くのハードロックバンドに直接の影響を与えた。
WIKIに「日本ではディープ・パープル、ブラック・サバスと並んで、三大ハードロックバンドの一組とされる」という記述があるが、誤り。
ディープ・パープルはサイケデリックな「ハッシュ」(1968年)を当時聴いたことがあるが、1972年の「ハイウェイ・スター」以後ハードロックバンドの人気バンドになっただけ。ブラック・サバスは「パラノイド」(1970年)がヒットしたが、一部での人気にとどまった。
レッド・ツェッペリンが元祖・神的存在。ディープ・パープルも歴史的名バンドだが、二番煎じのバンド。格が違う。
1970年代まではビートルズが一番と思っていたので、70年代半ば「ミュージックライフ」の人気投票で常に1位を占め、ビートルズ以上に評価され、人気のあったレッド・ツェッペリンは特にファンでもなかったが、チャート上位の常連だったので、聴いてはいた。
日本で一般的に知られることになったのは、1969年暮から翌春あたりの「胸いっぱいの愛をWhole Lotta Love」の大ヒットからだろう。
イギリスでは極力シングルを出さず、アルバムのセールスを狙ったという。日米、次のシングルは「リヴィング・ラヴィング・メイド」(1970年)。このころ、「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」や「「コミュニケイション・ブレイクダウン」「ハートブレイカー」 もラジオで流れていた。いずれも名曲だった。
次のシングルは「移民の歌Immigrant Song」(1970年)。1971年2月にはチャート上位の大ヒットとなったが、この曲はターザンみたいで下らなく聴こえてきた。
「ブラック・ドッグBlack Dog」(1971年)は「胸いっぱいの愛を」とならぶ代表曲。次の「ロックン・ロール」(1972年)まで名曲が続いた。これ以降の曲は知らない。レッド・ツェッペリンはアルバムで聴くバンドだから。
レッド・ツェッペリンを再認識したのは、1980年代初め名古屋シネマテークで、映画「永遠の詩(狂熱のライヴ)」を見たとき。ジミー・ペイジの低いギター位置が印象的だった。成功すると馬に乗りたがるのは面白い。
現在一番人気のある楽曲は「天国への階段」(1971年)だが、この曲を知ったのは70年代後半だろうか。シングル化されてなく、一般的にも知られていなかったと思う。何がきっかけとなったのだろう、記憶がないが、突然スポットライトを浴びたような曲だ。映画「永遠の詩」(1976年)で印象的だったので、このとき以降かもしれない。
しかし、この曲は代表曲とはいえない。ハードロックとしての曲調からして、「胸いっぱいの愛を」「ブラック・ドッグ」の2曲が代表曲だろう。
私が持っているのは、中古シングルの「ブラック・ドッグ」1枚のみ。80年代始めぐらいに購入か。B面の「ミスティ・マウンテン・ホップ」がいい曲だった。
WIKIを読んでいると、盗作疑惑だらけでどうなっているのかと思うが、アレンジして名曲ができれば、それに越したことはない。
「Kashmir」が人気曲とされるが、どこがいいのか分からない。
三大ギタリストはジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、ジミー・ペイジ。
ジェフ・ベックはレッスン・プロ。
Good Times Bad Times (1969年)
Communication breakdown (1969年)
Heartbreaker (1969年)
Whole Lotta Love (1969年)
Living Loving Maid (1970年)
Black Dog (1970年)
Stairway to Heaven (1971年)