フェリーに積まれたバスに乗り、メコン川を渡る。2013年1月29日(火)。本日はホーチミン市から西のアンジャン省ロンスエンまで移動し、東南アジア古代史を代表するオケオ遺跡を見学した。ロンスエンまでのバスはホテル内の旅行社で予約した。料金は12ドル。そのときに、バスターミナルへの行き方を紙に書いてもらったが、やっかいだ。ホテルからタクシーで小さいバスターミナルへ行き、そこからフリーシャトルでロンスエン行きのバスターミナルへ移動した。8時15分に出発して、5時間ほどの乗車となる。途中、大規模な休憩エリアで停車して、食事タイムがある。フランスパンのバゲットサンドはなかなか美味かった。
フェリーに積まれたバスに乗り、メコン河を2回渡ると、川沿いの都市ロンスエンのバスターミナルに13時頃着いた。意外に早く着けたので、オケオ遺跡を当日に見学することにして、まずはタクシーでホテルに行き、部屋を確保した。ここだけ、ネットで事前予約できなかったので、当地で最大規模の一流ホテルというドンスエンホテルを選択した。料金は75万ドン(3150円)。
荷を軽くして、ホテルからタクシーに乗り、アンジャン省博物館をまず見学した。
フェリーに積まれたバスに乗り、メコン河を2回渡ると、川沿いの都市ロンスエンのバスターミナルに13時頃着いた。意外に早く着けたので、オケオ遺跡を当日に見学することにして、まずはタクシーでホテルに行き、部屋を確保した。ここだけ、ネットで事前予約できなかったので、当地で最大規模の一流ホテルというドンスエンホテルを選択した。料金は75万ドン(3150円)。
荷を軽くして、ホテルからタクシーに乗り、アンジャン省博物館をまず見学した。
アンジャン省博物館。3階の展示室にはオケオ遺跡など近隣各地からのオケオ文化の出土品が展示されている。その出土範囲は現在のホーチミン市を含んでいる。
入場無料なのだが、平日の午後なので、閑散としている。職員も見つからず、探し出して尋ねると3階まで案内してくれた。
オケオ遺跡の観光情報を期待して来たのだが、そのようなものはなかったのは残念。
入場無料なのだが、平日の午後なので、閑散としている。職員も見つからず、探し出して尋ねると3階まで案内してくれた。
オケオ遺跡の観光情報を期待して来たのだが、そのようなものはなかったのは残念。
アンジャン省博物館。オケオ文化展示室。オケオ文化はヒンズー教と仏教を信奉していたので、リンガ、神像、仏像などが展示してある。基壇の一部など建造物の一部など地味な展示が多い。豪華な宝飾品などは、先日見学したホーチミンの歴史博物館が所蔵しているようだ。
部屋まで案内してくれた女性職員は、室内は撮影禁止と言って、ずっと私を監視していたので、個々の展示品は撮影できなかったが、一瞬の死角が生じたときに、室内を撮影した。
部屋まで案内してくれた女性職員は、室内は撮影禁止と言って、ずっと私を監視していたので、個々の展示品は撮影できなかったが、一瞬の死角が生じたときに、室内を撮影した。
博物館を出て、大通りに行ったが、タクシーが見つからずあせったが、20分ほどたってようやくつかまえた。運転手にオケオへ行くように頼んだが、分からないという。仕方ないので、博物館へ舞い戻り、運転手をオケオ文化展示室へ連れて行き、女性職員にも会わせると、ようやく分かったと言った。オケオではなく「アック・エオ」と発音するという。
オケオ遺跡を右に見る。ロンスエン市内から、デコボコの悪路を通り、道を確認しながら、1時間ほどで、ようやく近づいた。本道に集落が増えたところを、左折して小川沿いの水田地帯を通る狭い道を走ると、右側に見えてきたのが、オケオ遺跡であった。
オケオ遺跡はメコン川のデルタ地帯にあり,分流のバサック川とシャム湾の間の平野部に位置する。1世紀から7世紀にかけて、現在のカンボジア南部からベトナム南部のメコン・デルタ地帯に跨る地域に扶南(フナン)王国があり、オケオは当時の港町であった。
フランス人マルレが1942年に発見し,44年に発掘調査を行った。遺跡は低湿地にあり,北にはこの遺跡の発見の端緒となった仏像を出土したバテ山がある。3km×1.5kmの長方形をなす都市遺跡で中央長軸方向に水路があり,それに直交する4本の堀で10区画に分割されている。
オケオ遺跡はメコン川のデルタ地帯にあり,分流のバサック川とシャム湾の間の平野部に位置する。1世紀から7世紀にかけて、現在のカンボジア南部からベトナム南部のメコン・デルタ地帯に跨る地域に扶南(フナン)王国があり、オケオは当時の港町であった。
フランス人マルレが1942年に発見し,44年に発掘調査を行った。遺跡は低湿地にあり,北にはこの遺跡の発見の端緒となった仏像を出土したバテ山がある。3km×1.5kmの長方形をなす都市遺跡で中央長軸方向に水路があり,それに直交する4本の堀で10区画に分割されている。
オケオ遺跡。小川沿いの道から右折し、左右を樹木に囲まれた道を200mほど走ると道が途切れて、終点になった。駐車場があるでもなく空き地に駐車した。先には覆い屋のある施設が二つある。いずれも、建物の基壇跡を保存している。こちらが、東側施設。左にタクシーが見える。
オケオ遺跡。東側施設の内部。
オケオ遺跡。東側施設の内部。
オケオ遺跡。西側施設。
オケオ遺跡。西側施設の内部。
オケオ遺跡。西側施設の内部。
オケオ遺跡。西側施設の内部。
オケオ遺跡。西側施設の内部。
オケオ遺跡。西側施設から北のバタイ山を望む。
オケオ遺跡。北のバタイ山を望む。日本の東南アジア古代史の歴史書によく掲載されているアングルである。遺跡らしいものがないのに、何故この山がオケオ遺跡を代表する写真となるのか。
このバタイ山は聖山であり、山頂付近にはオケオ時代の祠跡があるといい、宗教的な中心がこの山に置かれていたということだ。
メコン川上流のカンボジアで栄えたクメール文化では山への信仰があるようだ。プノンペンのプノンは山・丘という言葉で、扶南(フナン)も同系統の語彙と思われる。
アジア人の都市思想として、北に山を望む土地を選定するということが古代から共通しているのは面白い。
扶南(フナン)王国は真臘王国、アンコール王朝と続くカンボジア史の前史に位置づけられている。オケオもベトナム政府が世界遺産の候補としているようだが、仇敵カンボジアとの関係もあり、どこまで本気なのか分からないところがある。おかげで、観光地化は全くされていない。出会ったのも地元民と犬ぐらいだった。
このバタイ山は聖山であり、山頂付近にはオケオ時代の祠跡があるといい、宗教的な中心がこの山に置かれていたということだ。
メコン川上流のカンボジアで栄えたクメール文化では山への信仰があるようだ。プノンペンのプノンは山・丘という言葉で、扶南(フナン)も同系統の語彙と思われる。
アジア人の都市思想として、北に山を望む土地を選定するということが古代から共通しているのは面白い。
扶南(フナン)王国は真臘王国、アンコール王朝と続くカンボジア史の前史に位置づけられている。オケオもベトナム政府が世界遺産の候補としているようだが、仇敵カンボジアとの関係もあり、どこまで本気なのか分からないところがある。おかげで、観光地化は全くされていない。出会ったのも地元民と犬ぐらいだった。
バタイ山。遺跡からの帰り道。狭い橋を渡る。とにかく水路が多い。運河が西のシャム湾まで通じていたということも信じられる。
オケオ遺跡近くの川。
オケオ遺跡近くの川。川の中に張り出した民家や船も見られる。
夕方、ドンスエンホテルに戻る。タクシー代は135万ドン(5670円)。乗車時は120万ドンで交渉したが、チップをはずんだ。とにかく、事前情報の少なかったオケオ見学を当日中に済ませてしまったことに満足した。翌日はカントーを見学。
夕方、ドンスエンホテルに戻る。タクシー代は135万ドン(5670円)。乗車時は120万ドンで交渉したが、チップをはずんだ。とにかく、事前情報の少なかったオケオ見学を当日中に済ませてしまったことに満足した。翌日はカントーを見学。