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Channel: いちご畑よ永遠に
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ロックの名曲 プロコル・ハルム A Whiter Shade Of Pale 青い影

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プロコル・ハルムProcol Harum1967年から1970年に活躍したイギリスのロックバンド。
前身のR&Bバンドが1966年に解散し、中心メンバーであったゲイリー・ブルッカーは、プロデューサーの紹介でキース・リードという詩人と出会い、オルガニストのマシュー・フィッシャーを仲間に迎え入れ、1967年にプロコル・ハルムが結成された。
1967年のデビュー曲「青い影」が世界的な大ヒットを記録した、
 
「青い影」。マシュー・フィッシャーのオルガンによる荘重なイントロのハモンドオルガンは、バッハの『管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」』からの引用とされる。
メロディーの肝は「And so it was that later」のところで、ボーカルもオルガンも序・破・急の破・急の急展開をするところと思う。このひねり技が効いている。
 
1967512日にイギリスで発売され6月から6週連続1位。アメリカで5位。
 
私は1967年春から意識的にラジオの洋楽番組を聴き始めた。
日本での正確な発売日は分からないが、そんなに遅れてはいないと思う。夏休みの午後に初めてラジオで聴いたような記憶がある。「山の中に籠もって作った」と紹介されていた。
それから、すぐにラジオから頻繁に流されたので、知らないリスナーはいないだろう。
半年以内には、2枚目のシングルが発売された。「月夜のオルガン」のような邦題だったのか、よく覚えていない。「Homburg」ではなかったと思う。そんなに悪くない曲だったので、一発屋ではなくて良かったと思ったが、それ以降のヒット曲は知らない。
 
「青い影」を荒井由美が当時聴いて感動し、ギターでなくてもポップスが出来ると思い、作曲家となったという話は1年前ごろに知った。「青い影」にインスパイアされて「ひこうき雲」が生まれたという。「翳りゆく部屋」もそうらしい。
 
 
作詞者のキースが、あるパーティ会場で、男性が女性に向かって「(ただでさえ色白の)君の肌が更に青白く(=a whiter shade of pale)なってきたよ」と言ったのを耳にしたことが、この曲を作るきっかけとなった、という。エピソードはつとに有名。
歌詞は、英語圏の人々が内容を理解するのを諦めてしまうほど難解だと言われている。
 

パーシー・スレッジpercy sledgewhen  a man  loves  awoman1966年)からの影響が指摘されている。

 
引用がバッハの曲ということに意義がある。バッハの音楽は現代人にも分かる。私は、クラシック音楽で誰の曲が好きかといえば、バッハしかない。「マタイ受難曲」も10年ほど前はよく聴いていた。モーツァルトやベートーベンとなると、一部の曲しか好きではない。バッハの宗教音楽は人類にとり普遍的な要素があるのではないか。
ベートーベンぐらいになると、人間的な色が附いてしまっているという感覚がある。

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