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ティモシー・シュミットTimothy B. Schmit(1947年~)はカリフォルニア州オークランドで生まれたベーシスト、歌手、ソングライター。1970年代にポコやイーグルスのメンバーとして活動、今も現役である。
少年期はサクラメントで育ち、15歳のときにフォークミュージックグループで活動を始めた。サーフミュージックに転向後、ラジオで人気を得て1968年にアルバムを発表した。
1969年、カントリー・ロック・バンド、ポコにランディ・マイズナーの後釜として加入、ベース・ボーカルを担当した。シュミットの作った楽曲「Keep on Tryin'」(1975年)は70年代のポコとして最大のヒットとなった。
ポコでの活動と並行して、スティーリー・ダン、フレディー・マーキュリーらとも共演した。
1977年、ランディ・マイズナーの後釜としてイーグルスに加入。シュミットは、アルバム『ロング・ラン』(1979年)収録曲「I Can't Tell You Why(言いだせなくて)」をグレン・フライ、ドン・ヘンリーと共作しリード・ボーカルを担当、全米8位のヒットとした。
1980年のイーグルス解散後、ソロ活動を開始。1982年、映画『Fast Times at Ridgemont High初体験/リッジモント・ハイ』にザ・タイムスのカヴァー「ソー・マッチ・イン・ラブSo Much In Love」を提供し、日本ではミニコンポのCMにも使用され人気となった。
セッションミュージシャンとして、TOTOの「アフリカ」(1982年)など様々なアーティストの作品でバッキング・ボーカルを担当し、
1992年にはリンゴ・スター・アンド・ヒズ・オールスター・バンドのツアーにも参加した。1993年、イーグルスの再結成に参加。
「ソー・マッチ・イン・ラブ So Much in Love) は、1963年にアメリカのソウルボーカルグループのタイムスTymesが歌い、ビルボード1位となったドゥーワップ調の楽曲。
多くのカバーがあり、1979年のトーキング・ヘッズののち、ティモシー・シュミットのバージョンは、シングルとしてビルボード59位のヒットとなった。
1988年アート・ガーファンクルのバージョンは、アダルト・コンテンポラリー・チャートで11位、1993年のR&BボーカルグループAll-4-Oneのバージョンは、1994年にビルボード5位になった。
山下達郎は1986年『ON THE STREET CORNER2』でカバーし、2001年に「君の声に恋してる Limited Edition, Maxi」で再カバーしている。専門家評では後者は「ニュー・ヴォーカル・リミックスの方が魅力的。ご本人にとってもそうだと思う。歌いっぷりが実にのびのびしてるもん。」とある。
youtubeで「so much in love billy joel」があったので、そのカバー情報はないのに変だなと見てみるとビリー・ジョエルの「 FOR THE LONGEST TIME」が出てきた。パクリかリスペクトなのか。
ティモシー・シュミットは、2004年イーグルスとして来日したときナゴヤドームで見た。
「ソー・マッチ・イン・ラブ」はテレビCMで聴いていい曲だと思った。小さいクレジットにティモシー・シュミットと書いてある。CMは1983年らしいが年度の記憶はない。何かがひらひら舞い降りる光景は覚えている。それが、紙飛行機なのか別なものだったのか。年度も1990年代だったように思う。
ポコもイーグルスも70年代後半から聴いていたのだが、ティモシー・シュミットは主要メンバーではなかったのでピンとこなかった。
Youtubeで自由に見られるようになって、ポコやイーグルスのライブ映像を見て、ティモシー・シュミットの活躍ぶりが分かった。「ソー・マッチ・イン・ラブ」のティモシー・シュミット版も発見できた。
「ソー・マッチ・イン・ラブ」のバージョンはいくつかあるが、ティモシー・シュミット版が最高である。
ティモシー・シュミットのフォーク仕込みのストレートな唱法や素直な声質がはまっている。
この曲にはドゥーワップ調のこぶしや揺れ、バイブレーションのある唱法は似合わない。その点で、タイムズ、All-4-One、山下達郎は合っていない。アート・ガーファンクルのバージョンは合格点。
ティモシー・シュミット版ではリード・ボーカルもバック・ボーカルもシュミットの声で親和性が高い。
ティモシー・シュミットはいかにも誠実そうなミュージシャンだ。ポコの「Keep onTryin'」、イーグルスの「I Can't Tell You Why」でそれが分かる。