旅順。中蘇友誼紀念塔。2018年11月25日(日)。
旅順には1945年ソ連軍が侵攻し、占領した後は、ソ連海軍の太平洋艦隊の軍港として中華民国に認めさせた。1950年に隣接する大連と金州と合併、旅大市となり、1955年に中華人民共和国に返還された。この中ソ友誼塔は、ソ連が旅順撤収前に立てたものである。
旅順博物館と同じ敷地の北側にあり、そのすぐ背後に満洲国が成立する前までの旧関東軍司令部がある。
旧関東軍司令部。
展示施設があったが、今は閉鎖されている。黄色い建物は玄関棟であろう。赤い瓦屋根の翼楼が左右に広がっている。
関東軍は、日露戦争後にロシア帝国から獲得した租借地の関東州と南満州鉄道の付属地の守備をしていた関東都督府陸軍部を前身として、1919年(大正8年)に関東都督府が関東庁に改組されると同時に独立して、関東軍司令部が旅順に設置された。
関東軍司令官は内地から交替で派遣された1個師団のほか,満州独立守備隊,旅順要塞司令部,関東軍憲兵隊など在満陸軍部隊全部を統轄した。
関東軍司令部は1919年4月12日、関東州旅順市初音町に設置され、1934年に満州国の首都新京市(現・長春)に移った。
旧関東軍司令部。
数々の策謀の震源地となった悪の巣窟だと思うと、感慨深い。
1928年、関東軍高級参謀・河本大作大佐らが張作霖爆殺事件を起こす。
1931年、板垣征四郎と石原莞爾作戦課長らは柳条湖事件(満州事変)を起こした。
1932年、満州国を建国した。
旅順時代の主な関東軍司令官および参謀。
司令官。本庄繁(1931年~1932年)、武藤信義(1932年~1933年)。
参謀長。小磯国昭中将(1932年~1934年)。
高級参謀。河本大作(1926年~1929年)、板垣征四郎(1929年~1931年)、石原莞爾(1931年~1932年)。
情報主任参謀。花谷正(1928年~1929年)。
白玉山と白玉山塔。
旧関東軍司令部見学を終え、大連市内で戻るバスの車窓から。
白玉山には、かつてロシアの砲台がおかれていた。山頂には、日露戦争後に東郷平八郎と乃木希典が建てた「白玉山塔」という約67mの慰霊塔が建っている。1909年に完成したときは表忠塔と呼ばれた。
旅順駅駅舎。
かつての東清鉄道最南端の終着駅である旅順駅の駅舎は旧市街の西外れに位置していた。1903年に大連からの線路が開通し、運行が始まった。
旅順駅駅舎。
現在も当時のままの姿をとどめる建物はロシアによって1906年に建てられた。ロシア教会風の塔がある緑の屋根が印象的なロシア風木造建築である。現在は列車は運行されていない。
旅順軍港。
バスは港近くの道路を通るので、軍艦らしき艦船が数隻見えた。ガイドが撮影禁止と言ったので、撮影してみたが、よく分からない写真となった。
土産店経由でホテルへ帰った。6人が路面電車乗車などのオプションツアーへ参加したが、私含め3人は不参加。
夕食はツアー行程に入っていないので、昨夜下見した近くのスーパー(超市)で日本風のミニアンパンなどを購入し、夕食とした。今日は、203高地へ登ったので疲れた。
朝鮮半島上空。2018年11月25日(日)。
大連空港7時30分の便なので、ホテル・ロビー5時30分集合であった。朝食は簡単な弁当である。
空路のコースは余り考えていなかったが、朝鮮半島上空を横断した。
10時40分予定通り、中部国際空港へ到着。
大連・旅順観光中は、雨も降らず、そんなに寒くもなく、観光もそれなりの内容であった。
今年、身障者1級となった身としては、心配するほどでもなかったので安心した。