当時の中心人物はギター・ボーカルを担当したブルース研究家のアラン・ウィルソン(1943~1970年)と
ブルース愛好家で巨漢のボーカル・ハープ担当のボブ・ハイト(1943~1981年)であった。アラン・ウィルソンはボストン大学で音楽を専攻し、とくに初期のブルースを研究しながらブルースミュージシャンの復活を援助した。ウィルソンは極度の近視であったため、Blind Owlというあだ名がついた。
キャンド・ヒートは1965年ロサンゼルスで結成された。バンド名は、戦前のデルタ・ブルースマンであるトミー・ジョンソンの「Canned Heat Blues」から付けられた。
1967年に初アルバムを発売。モンタレー・ポップフェスティバルに出演した。1968年1月、2枚目のアルバム「Boogie with Canned Heat」を発売。4月に発売されたシングルの「On the Road Again」がビルボード16位とヒットした。
「On the Road Again」は、アラン・ウィルソンが手掛けた楽曲だが、シカゴのブルースマンであるフロイド・ジョーンズが1953年に録音した「On the Road Again」をもとにしている。その元ネタは、トミー・ジョンソンの1928年の曲「Big Road Blues」である。
ジョン・リー・フッカーの1949年のヒット曲「Boogie Chillen」からインスピレーションを得た1コードのブギー・リフが使用されている。アラン・ウィルソンのファルセット・ボーカルはスキップ・ジェームズを真似たものである。ウィルソンはさらに、インドの楽器であるタンブーラを用いて、サイケデリックな雰囲気を演出している。
このころは、サンセット大通りにあるクラブ「カレイドスコープ」のハウスバンドとなり、ジェファーソン・エアプレイン、グレートフル・デッド、バッファロー・スプリングフィールドらと共演し、ドラッグ、アルコールに象徴されるヒッピー文化を象徴する人気バンドとなっていった。
1968年10月、3枚目のアルバム「Living the Blues」を発売。11月にシングルとして発売した「Going Up the Country」は、アラン・ウィルソンが手掛けた楽曲で、ヘンリー・トーマスの「Bull-Doze Blues」(1928年)を元にした曲で、トーマスが演奏したクイルズquills というバグパイプに似た楽器の部分をフルートで代用している。
ウィルソンは歌詞を、当時の風潮であったback-to-nature(自然に帰れ)というテーマで書き換えた。この曲はアメリカでは11位であったが、25か国で1位の大ヒットとなり、1969年8月にバンドが出演したウッドストック・フェスティバルでは非公式のテーマソングとなり、映画にも曲が使用されたが、本人たちの出演部分は当初公開された映画では採用されなかった。
1970年、ジョン・リー・フッカーを招いてアルバム「Hooker 'n Heat」を1971年に発売した。ジョン・リー・フッカーはアラン・ウィルソンのブルース・ハープをほめた。
アルバム録音後、女性との関係を築けずに、うつ状態に苦しんだアラン・ウィルソンは自動車事故による自殺を試みたが失敗した。1970年9月3日、ハイトの家の近くでアラン・ウィルソンの死体が発見された。向精神薬の過剰摂取による自殺とされている。27歳であった。
キャンド・ヒートは現在もバンドを続けているようだ。60年代末から70年代始めにかけては、日本でも人気があった。名前を聞かなくなったのは、1970年のアラン・ウィルソンの死後からであったということか。
ブルースロックの流行がクリーム由来であったので、シカゴブルースのモダンブルースにハイライトが当たり、古い時代の南部のデルタブルースはまだ聴かれていなかった。シカゴとデルタではタイプが違っていたので、
「Going Up the Country」にはそれほど、ブルース臭を感じなかったのかもしれない。、
その点で、カウンターカルチャーの歌として楽しむことができたようだ。アラン・ウィルソンの飄々とした歌声には良い意味での脱力感があった。