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80年代の名曲 スティクス   「ミスター・ロボット Mr. Roboto 」

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スティクス (Styx) は、アメリカのロック・バンド。
 
1970年代中ごろから、1980年代半ばまで、デニス・デ・ヤング(1947年~、ボーカル、キーボード)が作詞作曲したパワーバラードの楽曲がヒットした。日本では「ミスター・ロボット」(1983年)のヒットで知られる。
 
1961年、シカゴでデニス・デ・ヤング、チャック(ベース)とジョン(ドラム)のパノッツォ兄弟がバンドを組んだ、その後、ジェームズ・ヤング(ギター)とジョン・クルリュウスキ(ギター)が加入し、1970年にバンド名をスティクスに変えた。当初はエマーソン・レイク・&パーマーの影響を受けたプログレ風の楽曲が中心であった。
1975年、2年前に発売された2ndアルバムに収録されていたパワー・バラードのシングル「Lady」が8月に全米6位まで上昇し、全米に知られるバンドとなった。クルリュスキの脱退後、12月にトミー・ショウ(ギター、ボーカル)が加入した。

1981年、シングル「The Best ofTimes」が全米3位とヒット。

19821月に初来日公演。1983年には11thアルバム『ミスター・ロボット - キルロイ・ワズ・ヒア -』がリリースされ、日本語の歌詞が含まれたシングル「ミスター・ロボットMr. Roboto」が収録されて話題になるなど、日本でもヒットを記録した。その後デニスとトミーとの間に亀裂が生じ、翌年にバンド活動を停止した。
現在は、デニス・デ・ヤングは参加せずに、トミー・ショウを中心としてスティクスは活動している。
 
「ミスター・ロボットMr. Roboto」は、デニス・デ・ヤングが作詞作曲したシンセ・ポップである。
19832月にシングルとして発売され、ビルボード3位とヒットした。
19821月、初来日ツアーで、日本に滞在中、テレビで見た工場で稼働する工業用ロボットを見て、この曲が書かれたという。
1983年のコンセプトアルバム『キルロイ・ワズ・ヒア(Kilroy Was Here)』に収録されている。
 
ミスター・ロボットのコーラスにはキャッチフレーズになっている「ドモアリガト、ミスター・ロボット」という句が含まれている。
 

楽曲の冒頭の日本語の歌詞は、どもありがとうミスターロボット(dōmo arigatōmisutā Robotto)また会う日まで(mata au hi made)、どもありがとうミスターロボット(dōmo arigatō misutā Robotto)秘密を知りたい (Himitsu oshiritai)

 
この歌は、ロックオペラの『キルロイ・ワズ・ヒア』の中でロバート・オーリン・チャールズ・キルロイ(Robert Orin Charles KilroyROCK)の架空の物語の一部を語っている。
「社会不適格ロックンローラー」の罪で未来の刑務所に収監されているロックンローラーのキルロイ(キーボード奏者のデニス・デ・ヤングが演じる)がこの歌を歌う。
キルロイは看守「ロボット」を乗っ取り、内部を空にした「ロボット」の金属製外殻の中に隠れることで刑務所から脱獄する。歌の最後の最後で、トミー・ショウが演じる人物がキルロイと出会うと、様変わりしたキルロイは「私はキルロイである!私がキルロイだ!」と叫び歌は終わる。
 

1981年のシングル「The Best ofTimes」はベストヒットUSAで見たのか、サビの部分は覚えている。しかし、全体としては印象に残るほどの曲ではなかった。

「ミスター・ロボットMr. Roboto」は、ベストヒットUSAでトップにはならなかったが、何度も放映された。日本語の歌詞があって、しかもロボットというのは衝撃的・感激的な歌だった。そのとき見たPVはライブ映像に近いものだったように記憶している。歌もキャッチーで良い出来栄えだ。
今では産業大国日本といえるかどうか衰退ぎみだが、当時のライジング・サンぶりを象徴する歌として誇らしい。

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