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Channel: いちご畑よ永遠に
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ロックの名曲 ムーディー・ブルース 「サテンの夜 Nights In White Satin」

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ムーディー・ブルースThe Moody Blues 1964年イギリスのバーミンガムで結成された。初期はR&B系のバンドであったが、1967年にメンバーが入れ替わり、アート・ロック、プログレッシブ・ロックのスタイルに変わった。
当時のメンバーはレイ・トーマス、マイク・ピンダー、グレアム・エッジ、ジョン・ロッジ、ジャスティン・ヘイワードで、マイク・ピンダーのメロトロンやシンセサイザーなどの電子楽器を駆使したサウンドがオーケストラを代用するサウンドとなり、ムーディー・ブルースを特徴づけるサウンドとなった。
196711月発表の2ndアルバム『Days of Future Passedデイズ・オブ・フューチャー・パスト』では、1960年代の段階でオーケストラとの競演で新しいロックのスタイルを築き上げ、最初期のプログレッシ・ロックの例とされている。
 
その後は、1968年『失われたコードを求めて』、1969年『夢幻』、1971年『童夢』といったほとんどのアルバムが英米で大ヒットを記録。ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、イエス、EL&P、ジェネシス等と共に1960年代後半から70年代初頭のプログレッシブ・ロック・ムーブメントを支えた。
 
アルバム「童夢Every Good Boy Deserves Favour』の日本盤LP197110月に発売され、オリコンLPチャートで7位を記録した。
 
1967年に発売されたシングル「Nights InWhite Satinサテンの夜」は、発売当時は全英19位のヒットだったが、1972年にラジオ局から人気に火がつき、全米2位・全英9位・カナダ1位の大ヒットを記録し、彼らの代表曲となった。収録されているアルバム『Days of Future Passed』も1972年にアメリカでチャートインし最高位3位まで上昇した。
 
Nights In White Satin」は、ジャスティン・ヘイワードがリードボーカルとギター、マイク・ピンダーがメロトロン、レイ・トーマスがフルートを担当しており、オーケストラによる伴奏はピーター・ナイトが指揮するロンドン祝祭管弦楽団The London Festival Orchestraが担当している。
この曲はジャスティン・ヘイワードが19歳のときに作った楽曲で、彼のガールフレンドから贈り物として受け取ったサテンのベッドシーツを比喩にして片思いの恋を描いた内容で作詞された。
アルバムの曲として制作するにさいしては、マイク・ピンダーがメロトロンを用いてストリングスの部分を書き加えた。曲はストリングス、フルート、ハープ、チャイムによる渦を巻くようなサウンドで始まる。
 
1972年にアルバム『セヴンス・ソジャーン』を発表してからは、メンバー個人のソロ・アルバム製作などが活動の中心となり、バンド活動が停滞する。19744月には、アメリカのカリフォルニアに移住していたマイク・ピンダーが、家族との生活を優先させるためバンドを一度脱退する。1978年にバンドは再始動するが、マイク・ピンダーは参加せず、現在まで続いている。
 
イメージ 1
1972
年、日本でも「サテンの夜」はラジオで頻繁に放送された。不思議な音楽で、酔うような甘美なメロディーだった。
アルバム「童夢Every Good Boy Deserves Favour」も、音楽雑誌などで名盤として紹介されていた。ジャケットのデザインは、光が二人の人物を照らすもので、この記憶が、1983年にルーブル美術館でジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵を見たときの感動につながったものと連想させる。

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