ローリング・ストーンズのアルバム「スルー・ザ・パスト・ダークリー(ビッグ・ヒッツVol.2) Through the Past, Darkly (Big Hits Vol. 2)」は1969年にリリースされたストーンズにとって二作目の公式コンピレーション・アルバムであり、ブライアン・ジョーンズの脱退とその死後まもなくリリースされた発売された。
私は1978年ごろに、廉価復刻盤を購入し、愛聴した。これらの楽曲群は当時ラジオでよく聴いたのだが、このころにはラジオで放送されることは少なくなっていたからだ。
1969年2月に『レット・イット・ブリード』のレコーディングが始まったが、ブライア・ジョーンズのバンドでの地位はますます低下した。バンドは新メンバー、ミック・テイラーの加入を決定し、6月にブライアンの解雇を決定した。ブライアンはストーンズを脱退、7月3日の深夜自宅のプールで溺死しているのを発見された。
バンドは7月5日にハイド・パークでブライアン追悼フリーコンサートを行った。このコンサートは当初ミック・テイラーのお披露目が目的であったが、3日のブライアンの急死を受け急遽追悼コンサートとして行われた。その後、新シングル「ホンキー・トンク・ウィメン」がリリースされ、世界的にヒットした。
ブライアンの死は一時代の終わりを意味することとなり、ストーンズは新たな時代の始まりとして長く休止していたライヴ活動を新メンバーと共に再開し、それまでの経歴の一章を閉じるコンピレーション・アルバムのリリースを決定した
収録曲は1967年から69年のシングルとアルバム収録曲のなかから選ばれた。サイケデリック・ロックの影響を受けたアルバム『サタニック・マジェスティーズTheir Satanic Majesties Request 』(1967年12月)のころの楽曲が「ダンデライオンDandelion」「シーズ・ア・レインボーShe's A Rainbow」「2000光年のかなたに2000 Light Years From Home」、「この世界に愛を We LoveYou」、「ルビー・チューズデイ」。
「ダンデライオンDandelion」 (1967 年米6位) は、メルヘンチックなポップ・ロック。ブライアン・ジョーンズがメロトロンとサックスを演奏した。詞はイギリスに古くから伝わるタンポポ占いを元にしている。
アルバム『サタニック・マジェスティーズ』のセッション時に録音され、このアルバムのテイストを受け継ぐサイケデリック期のストーンズを表した仕上がりになっている。
「シーズ・ア・レインボー She's a Rainbow」 (1968年米10位) 。サイケデリックな作風となった『サタニック・マジェスティーズ』の中で、最もポップなメロディーを持つが、執拗に同じテーマを繰り返す曲構成や、間奏の奇妙なストリングス、エンディングの不協和音など、サイケデリックロックの要素が多分に含まれている。ストリングス編曲は、後にレッド・ツェッペリンのベーシスト/キーボーディストとなるジョン・ポール・ジョーンズが担当。曲全体をリードするピアノはニッキー・ホプキンス、トランペットの音はブライアン・ジョーンズの弾くメロトロンによるものである。
「サタニック・マジェスティーズ」はビートルズの「サージェント・ペパーズ」を追随したアルバムといわれた。サイケデリック、フラワームーブメント、ヒッピー文化の時代であったこの時期の雰囲気を表していて、なかでもこの2曲は1967年当時、ラジオで頻繁に放送されたことはなかったが、当時のロック文化を代表する曲である。
松任谷由実の1983年の曲に「ダンデライオン」というタイトルの曲があり、すぐにストーンズの曲を思い浮かべた。