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Channel: いちご畑よ永遠に
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イーグルスの名曲 その2 「Hotel California」「One of These Nights」「Lyin' Eyes」など

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イーグルスは、1977年春に「ホテル・カリフォルニア」が日本でも大ヒットして、初めてイーグルスの存在に気づいた。しかし、そのほかの曲では「テイク・イット・イージー」ぐらいが、ラジオで聴けたぐらいだったのではないだろうか。その後、レンタルCDの時代になり、1990年ごろ、『グレイテスト・ヒッツ 1971-1975』と「グレイテスト・ヒッツ VOL.2」を聴いて、「One of These Nights」、「Take It to theLimit」「Heartache Tonight」などのロック指向の曲を知り、youtube時代になってから、「Lyin' Eyes」、「New Kid in Town」、「I Can't Tell YouWhy」の良さに気付いた。この3曲は初期のカントリー・ロック調の「Peaceful Easy Feeling」」、「Tequila Sunrise」と似た曲調だ。
 
One of These Nights 呪われた夜」。1975年。19758月米1位。
作詞・作曲はドン・ヘンリー、グレン・フライ。イントロのベースとギター、ファンキーなリズムにアレンジしたのは、ドン・フェルダー。リード・ボーカルはドン・ヘンリー。
翌週の1位はビージーズの「ジャイヴ・トーキン」で、ディスコミュージックの流行が始まるころ。ディスコの影響を感じる。マイアミで録音したときは、ビージーズとスタジオを共用していたという。
ドン・フェルダーのギター・ソロはのちのアトランタ・リズム・セクション風に聴こえる。そういう分類であれば、ソフト・ロックに分類される。
 
Lyin' Eyes いつわりの瞳」。1975年。米2位。
作詞作曲はドン・ヘンリー、グレン・フライ。カントリー・ロックとソフト・ロック。ヘンリーとフライがロサンゼルスの有名レストランで若い美人妻が太った富豪風の夫と食事している光景を見て着想した。
ドン・フェルダーのカントリー・ロック風の伴奏とソロが秀逸。コーラスも美しい。
 
Take It to the Limit 1975年。米4位。
作詞・作曲はランディ・マイズナーでドン・ヘンリーとグレン・フライが仕上げに協力した。。リードヴォーカルはランディ・マイズナー。ワルツ風のバラード。
 
この曲のラストでのマイズナーの高音ボーカルは、ファンに人気であり、コンサートで盛り上がった。したがって、コンサートでは必ず演奏するべきだとフライは主張したが、マイズナーは嫌がったため、大きな口論のもととなった。マイズナーが音を外すと、ドン・ヘンリーが厳しく叱責するために、マイズナーは胃潰瘍になった。フライはマイズナーにこの曲を歌わせるためにバックステージで体を張った口論をした。
このことが、マイズナーがイーグルスから脱退する一つの原因となった。
 
New Kid in Town ニュー・キッド・イン・タウン」。1976年。米1位。
作詞・作曲はJ.D.サウザー、グレン・フライ、ドン・ヘンリー。リード・ボーカルはグレン・フライ。
メロディーはカントリー・ロック風だが、サウンドはロック風。
グラミー賞ベスト・ボーカル・アレンジメント・複数ボーカル部門を受賞したように、コーラスのハーモニーが美しい。元曲はJ.D.サウザーがアルバム録音の1年前に作っていた。
恋愛や音楽業界での移り変わりの激しさをテーマにした曲という。ホール&オーツをモデルにしたともいわれる。
流れるようなメロディーと伴奏するギターの音色が不思議な効果を生んでいる。
 
Hotel Californiaホテル・カリフォルニア」。1976年。19772月シングルリリース。米1位。
作詞・作曲は、ドン・フェルダー、ドン・ヘンリー、グレン・フライ。イントロの印象的なギター、メロディー、後半のツインギターソロも含め、作曲したのはドン・フェルダーで、ドン・ヘンリーは作詞を手掛けた。
リードボーカルはドン・ヘンリー。ドン・フェルダーとジョー・ウォルシュによるツインギターのソロの流れが印象的。ドン・フェルダー、ジョー・ウォルシュの順で演奏され、フェルダーはギブソン・レスポール、ウォルシュはフェンダー・テレキャスターを使用した。ロック史上屈指のギターソロのほとんどのラインはフェルダーが作った。
歌詞のテーマは、1969年をさかいにロックのスピリットが失われたという解釈が定説となっている。
歌詞のsteely knivesがスティーリー・ダン(LAのバンド)への当てつけというのは本当のようだ。
「好きなときにチェックアウトはできるが、決して立ち去ることは出来ない」という歌詞は、「「ホテル・カリフォルニア要因」として、比ゆ的に用いられる。
 
「ドン・フェルダー自伝」(日本、2010年)では、「ホテル・カリフォルニア」の生みの親であるドン・フェルダーが原形が出来たのは、19767月、マリブのビーチハウスでのことという。
海を眺めながらアコースティック12弦ギターを無意識につま弾きはじめると、オープニング・コードがいくつか浮かんできて、クールなサウンドが不意に形になり、ヴァースとコーラスもある32小節ほどの小品ができたという。自伝には、ドン・ヘンリーとグレン・フライの他のメンバーへの高慢な態度も書かれているという。
 
ドン・ヘンリーがビバリー・ヒルズ・ホテルを思い浮かべながら作詞した。フライはテレビドラマ「トゥワイライト・ゾーン」のシナリオを参考とするように提案した。ティファニーの部分は当時のガールフレンドで、のちに宝石デザイナーとして成功したローリー・ロドキンとの破局から生まれた。
 
私が19888月にアメリカ西部・中部・南部を旅行したとき、ビバリー・ヒルズ・ホテルが「ホテル・カリフォルニア」のモデルとなったことを知っていたので、旅の終末にビバリー・ヒルズ・ホテルで泊まるべく、アメリカ到着直後に予約して、10日余りのちに、フロリダかナッシュビルからかは忘れたが、ロサンゼルス空港へ土曜の夜おそくに着き、ビバリー・ヒルズ・ホテルへタクシーで向かった。タクシーは乗客3人が乗合いになり、別々に降ろされたのだが、ビバリー・ヒルズ・ホテルと言ったのに、間違ったホテルで降ろされかかったので、ビバリー・ヒルズ・ホテルだと繰り返したら、黒人ドライバーに驚かれた。ビバリー・ヒルズ・ホテルに着いて、トランクを下ろすとき、暗闇でドライバーから、こんなホテルに泊まるぐらいなら、チップをはずめといわれて、面くらった。
数百人のタキシードの男性たちや華やかな衣装に身を包んだ女性たちが踊るボールルームを横目に見て、ハイソサエティは豪華なものだと感嘆しながら回廊を進んでフロントに着くと、オーバーブッキングで泊まれないといわれた。このホテルが目的だったので、ごねると、友人のホテルをご案内しますと、強制的にビバリー・ウィルシャーホテルへ連行された。こちらも高級ホテルなのだが、しかも無料となったのだが、ビバリー・ヒルズ・ホテルに泊まれなかった無念さは残った。ただ、ビバリー・ヒルズ・ホテルのスノッブさや雰囲気を味わうことはできた。
 
Heartache Tonight  ハートエイク・トゥナイト」。1979年。米1位。
作詞・作曲はグレン・フライ、ドン・ヘンリー、J.D.サウザー、ボブ・シーガー。グレン・フライとJ.D.サウザーがもとになる曲を作った。リードボーカルはグレン・フライ。スライドギターはジョー・ウォルシュ。
R&B歌手のサム・クックの歌からヒントを得たという。
 
I Can't Tell You Why 言いだせなくて」。1979年。1980年にシングル、米8位。
作詞・作曲はティモシー・シュミット、グレン・フライ、ドン・ヘンリー。リードボーカルはティモシー・シュミット。ティモシー・シュミットがもとの曲を作り、グレン・フライがR&B調にした。フライはシュミットにリッチー・フューレイ(ポコ)風でなく、スモーキー・ロビンソン風に歌えと言ったという。

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