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Channel: いちご畑よ永遠に
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ドゥービー・ブラザーズの名曲 その1 代表曲 「チャイナ・グローブ」「ロング・トレイン・ランニング」。「リッスン・トゥー・ザ・ミュージック」「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」  

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ドゥービー・ブラザーズThe Doobie Brothers は、イーグルスとならびウェストコースト・ロックを代表するバンド。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」ほどの世界的ヒットがないので、日本では知名度が低いのが残念だが、イーグルスは、ドゥービーズの高い演奏技術とコーラス・ハーモニーを羨ましがっていたという。
 
彼らの曲では「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」が一番有名かもしれないが、代表曲の「チャイナ・グローブ」「ロング・トレイン・ランニング」では、豪快かつ軽快な本物のアメリカンロックらしさが味わえる。「リッスン・トゥー・ザ・ミュージック」は最初期の代表曲。
 
1969年にカリフォルニア州サンノゼで、トム・ジョンストン(G,Vo)を中心に前身バンドが結成された。1970年には、唯一人の固定メンバーとなったパトリック・シモンズ(G,Vo)が加入し、ドゥービー・ブラザーズと改名する。「ドゥービー」はスラングで「マリファナ」を吸う器具のジョイント部分を意味し、仲間意識を表した。
 
トミー・ジョンストンはロックンロールとリズム・アンド・ブルース、パット・シモンズはフォークソング、ブルース、トラディショナル・ミュージックなどに影響を受けたようだ。
 
1971年にデビューアルバム発表。同年、2人目のドラマー、マイケル・ホサックが加入。ベ-スにタイラン・ポーターが交代加入。ツイン・ギター、ツイン・ドラムスの5人編成が完成し、1970年代前半の黄金期を支えるメンバーが揃う。
 
1972年、セカンド・アルバム『トゥールーズ・ストリート(Toulouse Street)』をリリース。同作からシングル・カットされた「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック(Listen to the Music)」がビルボード Hot 10011位まで上昇するヒットとなり、グループは一躍全米規模の人気バンドとなる。
 
1973年のアルバム『キャプテン・アンド・ミー(TheCaptain and Me)』からは「ロング・トレイン・ランニン(Long Train Runnin')」、「チャイナ・グローヴ(China Grove)」がヒット。
 1974年のアルバム『ドゥービー天国(What Were Once Vices Are Now Habits)』からは「ブラック・ウォーター(Black Water)」が初の全米No.1ヒットとなり、イーグルスと並びアメリカン・ロックを代表する人気バンドのひとつとなった。Another Park, Another Sunday」「Road Angel」収録。
 
1974年マイケル・ホサックが脱退し、キース・ヌードセンが後任に加入、これまでも度々ゲスト参加していた元スティーリー・ダンのジェフ・バクスター(ギター)が正式加入し、トリプル・ギター編成となる。
 
1975年、5thアルバム『スタンピード(Stampede)』をリリース。チャートの4位まで上昇するヒットとなる。
このころから、ジョンストンの健康状態が悪化し、バンドを一時脱退してしまう。ジョンストンの代役としてバクスターの紹介により、スティーリー・ダンのツアーメンバーだったマイケル・マクドナルド(キーボード、ボーカル)が正式加入する。以後はマクドナルドの存在が大きくなり、バンドの音楽性はトム・ジョンストン期の野性味あふれる快活なギターロックから、R&Bの影響を受け洗練されたAOR色の強いものへと変化していった。
 
1976年ドゥービー・ストリート(Takin'It to the Streets)。 
1977年運命の掟 (Livin' on theFault Line)
1978年ミニット・バイ・ミニット (Minuteby Minute)
マクドナルドがケニー・ロギンスと共作したシングル「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」とともに全米1位を獲得した。
 
1979年、脱退したジェフ・バクスターの後任としてジョン・マクフィー(ギター)が加入。
80年代に入ると各人のソロ活動が活発化し、この時点で唯一のオリジナル・メンバーとなったリーダーのパトリック・シモンズは活動休止を提案、1982年に初期のメンバーも参加して「フェアウェル・ツアー」と銘打った大規模なライブを行なった後、解散した。
 
1987年にチャリティーコンサートのために一時再結成。1989年、オリジナル・メンバーのジョンストン、シモンズ、ハートマン、マイケル・ホサック、タイラン・ポーター、ボビー・ラカインドの6人編成で正式に再結成、復活アルバム『サイクルズ(Cycles)』をリリース。シングルカットされた「ザ・ドクター(The Doctor)」はビルボード9位とヒットした。以後も現在まで活動を続けている。
 
Listen to the Music」。1972年。「トゥールーズ・ストリート」収録。作詞作曲。トム・ジョンストン。
彼によれば、世界平和をテーマにした曲。世界の指導者たちが草で覆われた丘にすわり合って、マリファナを吸い、この世の憂さを忘れれば、世界は平和になると夢想した。
リードボーカルはジョンストン。ブリッジのボーカルとバンジョーはシモンズ。
 
Long Train Runnin'」。米8位。作詞作曲。トム・ジョンストン。
元々はインストゥルメンタルとして演奏されていた曲だが、プロデューサーのテッド・テンプルマンの案によって、ジョンストンが歌詞も書き下ろすことになった。
日本では、CMソングとして使われることが多い。
 
China Grove」。 1973年。米15位。「キャプテン・アンド・ミー」収録。作詞作曲。トム・ジョンストン。
ジョンストンがギターリフを作り、ドラムのハートマンとジャムをする間にコード進行を作成。
samurai swordsなどの言葉はサポートのキーボーディストでテキサス出身のビル・ペイン(リトル・フィート)の示唆による。China Groveはテキサス州に実在し、ドゥービーズがツアーで近くを通ったことから思い浮かんだという。
 
What a Fool Believes」。1978年。米1位。『ミニット・バイ・ミニット』収録。
作詞作曲はケニー・ロギンス、マイケル・マクドナルド。
 
ドゥービー・ブラザーズは好きなバンドの一つで、1979年と1993年の2回も来日公演を見た重要な存在なのである。79年の公演のパンフは大切に持っている。
トム・ジョンストンが元気だった70年代前半がピーク。再結成後は、ほどほど聴ける。
トム・ジョンストンのギターは切れ味のよいハードなロックでアメリカ的なフレーズが持ち味。一方パット・シモンズはカントリー・フォーク的なフレーバーを加え、ウエストコーストらしいサウンドを作る。一貫したメンバーであるパット・シモンズが精神的な支柱としてメンバーの仲の良さをバックアップしたと推測する。
 
トム・ジョンストンのワイルドで深みのある声質が素晴らしい。
 
79年の来日時にパット・シモンズ、ジェフ・バクスターのツインギターが、ハードロックからジャズ・カントリーまでこなすことに感嘆した。
メガネと口髭がトレードマークのジェフ・スカンク・バクスターが舞台の前端にすわり足を投げ出してギターを演奏する変わったスタイルが印象的だった。
ジェフ・バクスターが、渡英する前にジミ・ヘンドリックスが初めて作ったバンドでベースを担当していたと、最近知った。
ジェフ・バクスターとトム・ジョンストンのギターの絡みはロック史上に残るもの。
「スタンピ-ド」の「ニールズ・ファンダンゴNeal's Fandango」では二人のスリリングなフレーズの応酬、早口なボーカル、抜群なコーラス、最後の瞬断の静謐さがあり、私が思うドゥービーズのベストワンはこのスタジオ録音だ。
 
1982年のフェアウェルツアーでトミー・ジョンストンがゲスト出演し、「チャイナ・グローブ」「ロング・トレイン・ランニング」を演奏した。
このライブ音源は翌年CDとして日本で発売された。そのころ、ラジオで聴いて、パット・シモンズが「私たちの友人で、バンドの創始者」とトミー・ジョンストンを紹介する言葉と演奏に感動した。この2曲のベスト演奏はこのバージョンだ。コンサートのライブ映像はしばらくしてNHK総合テレビで放送され、ドゥービーズの真価を堪能した。CDもレンタルして、数曲をカセットに落して、ドライブ中によく聴いた。
パット・シモンズとジョン・マクフィーのギターもいい。



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