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ジャズ・バイオリンの名演 ステファン・グラッペリ、ジョー・ヴェヌーティ

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ステファン・グラッペリStéphane Grappelli1908年~1997年)はフランス、パリ出身のジャズ・ヴァイオリニスト。1934年、モダンジャズ・ギターの源流となったジャンゴ・ラインハルトとともにに「フランス・ホット・クラブ五重奏団 (the Quintette du Hot Club de France)」を結成し、第二次世界大戦前から晩年まで精力的な演奏活動を続けた。ジャズ・ヴァイオリニストの第一人者として、長年に渡って晩年まで第一線で活躍した。
 
父親はイタリア人侯爵でイタリア語を教える学者であった。母は彼が5歳の時に亡くなった。第一次世界大戦が始まると。父親はイタリア兵となり、当時パリに住んでいたダンサーのイサドラ・ダンカンに息子を預け、ステファンは6歳からダンカンのダンス学校に通った。彼はドビュッシーらの印象主義的音楽を好んだ。戦乱のため学校が閉鎖されると、父親は彼を孤児院に預け、そこでは食事に困るほど粗末な扱いを受けた。戦後、父親が帰ってパリの下町で同居した。彼は1919年にフランス国籍を得た。

父親がスーツを質入れして得た費用でバイオリンを学び始めたのは12才のころだった。レッスンも受けたが、独学を好んだ。1920年、名門のパリ国立高等音楽学校Conservatoire de Parisに入校し、1923年優秀な成績で卒業した。
1923年から2年あまり無声映画上演の際に演奏を行うヴァイオリニストとして仕事をした。演奏の合間に訪れたブラッセリーでジャズに出会った。1928年、アメリカのポール・ホワイトマン楽団の公演でジャズ・ヴァイオリニストのジョー・ヴェヌーティの演奏に接し、奏法に影響を受けた。収入を増やすため、一時ビッグ・バンドでピアノを弾いた時期もある。

1931年、ジプシー・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトに出会い、彼のキャラヴァンで一緒に演奏する機会を得た。1934年、二人はロンドンで再会し、フランス・ホット・クラブ五重奏団を結成した。
1937年から五重奏団はモンマルトルのナイトクラブやサロンで定期的な演奏を始めたが、1939年第二次大戦が始まると解散した。グラッペリはロンドンに移ってバンドを結成し、ピアニストのジョージ・シアリングをデビューさせた。
1949年、グラッペリとラインハルトは再結成し、「ジャンゴロジー」などを録音した。以後、晩年まで活動を続けた。
グラッペリはジャズ以外の分野の演奏家とも共演し、クラシック分野では1971年にユーディ・メニューインと、のちにヨーヨー・マらと共演している。
 
私は、1972年に「これがモダンジャズ。VOL1コンテンポラリー編」を購入し、ジャズ・ロックバンド、マハヴィシュヌ・オーケストラMahavishnuOrchestraAwakening目覚め」に衝撃を受けた。ジョン・マクラフリンのギターは当然素晴らしかったが、それ以上にジェリー・グッドマンのバイオリンは凄かった。
 
それで、ジャズ・バイオリンに興味を持ち、「バイオリン・サミットStéphaneGrappelli/Stuff Smith/Svend Asmussen/Jean-Luc Ponty: Violin Summit (1967)」、「ニュー・バイオリン・サミット」を購入したが、なかでもジャズらしい一方で優雅に弾くステファン・グラッペリが好きになった。

次に購入したのが、ステファン・グラッペリ、ジョー・ヴェヌーティ、バーニー・ケッセルが共演した「Venupelli Blues 二人でお茶を」であった。

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Venupelli Blues」。19691022日パリで録音。
Stephane Grapelli, john Venuti - vln
George Wein - p
Barney Kessel - g
Larry Ridley - b
Don Lamond – dr
 
I can't give you anything but love 捧ぐるは愛のみ」。
バイオリン、ギター、ピアノ、ベースのソロと続く。ベースソロのときの、ギターの伴奏コードの刻みがいい。

Undecided アンディサイデッド」。
 
Honeysuckle Rose」。Stéphane Grappelli Meets Barney Kessel (1991/1969) - Track 2
BarneyKessel (guitar), Stéphane Grappelli (violin), Michel Gaudry (bass), Nini Rosso(rhythm guitar), Jean-Louis Viale (drums)
 
Nuages Django Reinhardt & Stephane Grappelli
 
1988年、宿泊したロサンゼルス・ビヴァリーヒルズのホテルを出たとき、歩道の壁にステファン・グラッペリ公演のポスターを見つけて、まだ生きて公演しているのかと驚いた。ひょっとして、日本でもと思っていたら、19895月にグラッペリの来日公演が告知された。東京と大阪での公演だったので、大阪のサンケイホールでの公演を聴きにいった。どの曲を弾いても同じ曲に聴こえて笑えてきたが、長年聴きたかったグラッペリを聴けてたいへん満足した。


ライナーノートは油井正一氏。

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