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Channel: いちご畑よ永遠に
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アール・スクラッグス・レビュー 「ロンサム・ルーベン」「フォギー・マウンテン・ブレイクダン」「Country Comfort」 エルトン・ジョン、バーズ

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Lonesome Reuben 0分00秒
T for Texas  12分08秒
Foggy Mountain Breakdown 37分20秒
A1 - Lonesome Ruben (Earl Scruggs Revue)A2 - Battle Of New Orleans (Nitty Gritty Dirt Band)A3 - You Ain't Goin' Nowhere (Joan Baez)A4 - Freight Train Boogie (Doc & Merle Watson)A5 - T For Texas (Earl Scruggs Revue)A6 - Roll Over Beethoven (Byrds)B1 - Me And Bobby McGee (Ramblin' Jack Elliot)B2 - Mr. Tambourine Man (Byrds)B3 - Black Mountain Rag (Doc & Merle Watson)B4 - The Night They Drove Old Dixie Down (Joan Baez)B5 - Diggy Diggy Lo (Nitty Gritty Dirt Band)B6 - Blowin' In The Wind (Joan Baez)B7 - Foggy Mountain Breakdown (Earl Scruggs Revue)B8 - Billy Fehr (Ramblin' Jack Elliot)

アール・スクラッグス・レビュー Earl Scruggs Revue は、ブルーグラス・ロックのバンドで1969年から1982年まで活動した。メンバーはバンジョー奏者のアール・スクラッグスと彼の息子であるランディ・スクラッグス(ギター)、ゲイリー・スクラッグス(ベース、ボーカル)、スティーブ・スクラッグス(ドラム)を中心に構成されていた。
 
アール・スクラッグス(1924年~2012年)は、スリーフィンガー・ピッキング奏法(スクラッグス・スタイル)を確立させ、バンジョーをソロ楽器に変えた革新者であった。
「フォギー・マウンテン・ブレイクダンFoggy Mountain Breakdown」は、アール・スクラッグスが1949年に作曲した作品(もともとはアールの父が作ったともいう)で、映画「Bonnieand Clyde 俺たちに明日はない」(米1967年・日1968年)に使用され、ニューシネマ、サブカルチャーを象徴する楽曲として、日本でも広く知られている。
 
アール・スクラッグスはノースキャロライナ州で生まれ育った。
1945年にビル・モンローのブルーグラスボーイズに加入。スクラッグスのアクセントの効いたスリーフィンガー・ピッキング奏法は、またたく間に人気となった。
1948年、スクラッグスは、ギターのレスター・フラットと共に、ブルーグラス・ボーイズを脱退し、フォギー・マウンテン・ボーイズを結成。「フラット&スクラッグス」として知られるようになり、1950年代・60年代に人気を博した。1960年代後半の音楽の変化に対応しようとしたスクラッグと保守的なスフラットと意見が分かれ、1969年にフォギー・マウンテン・ボーイズは解散した。

1969年、スクラッグスは3人の息子たちにフィドルのヴァッサー・クレメンツ、ドブロのジョッシュ・グレイブスを加えて、「アール・スクラッグス・レビュー」を結成した。
同年11月、新バンドはワシントンD.C.で開かれたベトナム反戦コンサートで演奏した。スクラッグスはブルーグラス界・カントリー界で反戦の立場に立った数少ないミュージシャンの一人だった。
「アール・スクラッグス・レビュー」は学生の間で人気が高く、キャンパスでの公演によく招かれ、ステッペンウルフ、バーズ、ジェームズ・テイラーなどと共演した。1970年代にはテレビ番組にも出演した。1972年のアルバム「I Saw the Light with a Little Help from my Friends 」では、リンダ・ロンシュタット、アーロ・ガスリー、ニッティー・グリッティー・ダートバンドNGDBをフューチャーし、NGDBがカントリーの大物たちとコラボレートしたアルバム「Will the Circle be Unbroken」を制作するきっかけとなった。
1975年・76年には、ビリー・ジョエル、レナード・コーエン、ケニー・ロギンス、ジム・メッシーナ、アルビン・リー、ダン・フォーゲルバーグ、チャーリー・ダニエルズ、トレイシー・ネルソンたちをフューチャーしたアルバムを制作している。
1980年にアール・スクラッグスが背中を痛めてツアーができなくなり、1982年に「アール・スクラッグス・レビュー」は解散した。「アール・スクラッグス・レビュー」は商業的に成功したが、カントリー界の保守派からは受け入れられなかった。
その後も、アール・スクラッグスはランディ・スクラッグスとともに活動を続けた。
2001年のアルバム「Earl Scruggsand Friends」では、エルトン・ジョン、スティング、ドン・ヘンリー、ジョニー・キャッシュ、ドワイト・ヨーカムたちをフューチャーしている。
 
私が「アール・スクラッグス・レビュー」を聴いたのは、1977年に日本で発売されたLP「バンジョーマンBanjoman」を当時購入して以来で、とくにA1の「ロンサム・ルーベンLonsome Rueben」のエレクトリックギターのソロには感動した。
アルバム「バンジョーマンBanjoman」は、19731月カンサス州マンハッタンにあるカンサス・ステート大学で行われたライブを収録したもので、1975年にはドキュメンタリー映画「Banjoman」として公開されたが、日本では未公開である。
タイトルでは、ヴァージニア州に生まれ、バンジョーの魅力に取りつかれて、1831年に5弦バンジョーを発明したジョエル・スゥニィーを讃えているが、実質的にバンジョーの革新者アール・スクラッグスに敬意を表したコンサートで、ジョーン・バエズ、デヴィッド・ブロムバーグ、バーズ、ランブリン・ジャック・エリオット、ニッティー・グリッティー・ダート・バンド、ドク・ワトソン、トレイシー・ネルソン&マザー・アースら7組のゲストを迎えて、1万人余りの観客の前で、夜の7時から翌朝7時まで、ラストの「フォギー・マウンテン・ブレイクダン」まで演奏は12時間にわたって繰り広げられた。
このコンサートの6か月後、出演したバーズのクラレンス・ホワイトが他界したとオリジナルのライナー・ノーツに記されていると、小倉エージ氏は解説している。
当日のアール・スクラッグス・レビューのパーソネルは、アール、ランディー、ゲイリー、クレメンツ、グレイブスとジョディ・メフィス(ドラム)とスティーブ・スクラッグス(ギター)とされる。
 
「ロンサム・ルーベンLonesome Reuben」のソロはアールのバンジョー、グレイブスのドブロ、アコースティックとエレクトリックを持ち替えているらしいランディのギターがフューチャーされて、ブルーグラス・ロック的な趣を持つサウンドが聴かれる。
T フォー・テキサス T for Texas」は、ジミー・ロジャースの作品で、ゲイリーがボーカル、ランディのギター、グレイブスのドブロ、アールのバンジョーと続く。
 
Country Comfort」はエルトン・ジョンの3作目のアルバム「Tumbleweed Connection(1970)の収録曲。アール・スクラッグス・レビューは1971年にシングルを発表。アメリカのカントリー・ミュージシャンが多くカバーしている。2004年にはニコール・キッドマンの夫であるキース・アーバンがカバー。
 
Our Love Is Home Grown1978年。
1971 - When Rock & Roll Met Bluegrass」バーズとボブ・ディランの「You ain’t Goin’ Nowhere」を演奏。

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