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ロックの名曲 アメリカ 「名前のない馬 A Horse With No Name」

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アメリカ(America)は、1969年イギリス・ロンドンで結成されたフォークロックグループ。「名前のない馬 AHorse With No Name」のヒットで知られる。
1969年ジェリー・ベックリー、デューイ・バネル、ダン・ピークの3人により結成された。3人とも父親はロンドンに駐留するアメリカの軍人であり、アメリカンスクールでの仲間だった。当初は地元の米人のティーンが集まるクラブで、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングのカバーを歌うことが多かった。
1971年にデビュー。
 
デューイ・バネル(1952年~)は、イギリス・ヨークシャー州生まれ。父は米空軍の駐留軍人、母は英人。バネルはビートルズとビーチ・ボーイズに影響を受けた。
 
ジェリー・ベックリー((1952年~)は米軍人の父親と英人の母親の間に生まれた。1962年ヴァージニア州でサーフミュージックのバンドでギターを担当。毎年、夏にはイギリスで過ごし、ビートルズなどの音楽に触れた。
1967, ベックリーの父親がロンドン近郊の駐英空軍基地司令官として赴任し、ともに渡英。高校でバンド活動をするうちに他の二人と知り合った。
 
ダン・ピーク(19502011年)は、フロリダで生まれた。父親は米空軍軍人。幼少期はリューマチのため病院生活を送った。1963年、父親の駐英勤務にともない、家族とともに渡英。
アメリカ時代は酒と麻薬で苦しみ、ツアー生活にも疲れて1977年に脱退、キリスト教の信仰にもとづく現代クリスチャン・ミュージックの先駆者となる。
 
1972年に発表したシングル「名前のない馬(AHorse With No Name)」がビルボード1位の大ヒットとなった。グラミー賞の最優秀新人賞を受賞した。同年にロサンゼルスに活動拠点を移す。
さわやかなコーラスを生かした素朴なサウンドは、当時すでに人気を確立していたクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングと比較されることが多かった。その後も「アイ・ニード・ユー」「ヴェンチュラ・ハイウェイ(Ventura Highway)」、「ティン・マン」、「ロンリー・ピープル」、「金色の髪の少女(Sister Golden Hair)(1975)、「ひなぎくのジェーン(Daisy Jane)」、「夢のカリフォルニア」「風のマジック(You Can Do Magic)(1982)といったヒット曲を送り出した
 
「名前のない馬(A Horse With No Name)」。作詞・作曲デューイ・バネル。
197111月ヨーロッパで発売、1972年初めアメリカで発売。
バネルの解説によれば、スタジオに架けられていたダリの絵画から着想を得た「DesertSong」と、エッシャーの絵画からヒントを得た「Horse」とよばれる二つの歌がもとになったという。
また、子供のころ家族でアリゾナやニューメキシコの砂漠を旅行した思い出ももとになっている。
馬とは人生の混沌から抜け出し、静かで平和な土地へ至る手段の暗喩であるという。
ただし、馬はヘロインの俗語であったので、アメリカのラジオ局では放送禁止になることもあった。
曲はEドリアン・モードで録音された。12弦を含むアコースティック・ギター、ベース、ドラム、ボンゴを使用。
曲はニール・ヤングの一連の曲との類似を指摘された。偶然にも、ニール・ヤングの「Heartof Gold」が318日にビルボード1位であったが、アメリカの「A Horse with No Name」が翌週の325日から3週連続1位となった。
評論家からは、"The heat was hot";"There were plants, and birds, and rocks, and things"; and"'Cause there ain't no one for to give you no pain." という歌詞の不自然さを酷評された。ベックリーはのちに、インタビューで、歌詞を作っていたときに、マリファナを吸っていたことを認めている。
文化放送オール・ジャパン・ポップ20では197242420位初登場、612日~755週連続1位。
 
この曲で印象的だったのは、コーラスの「ラーラーラ、ララララ、ラララ」のメロディーとハモリ。バース部分の唱法はウォーター・フォール(滝)唱法とよばれているらしく、新鮮に聞こえた。
 
「金色の髪の少女(Sister Golden Hair)(1975)。ビルボード1位。
作詞・作曲ジェリー・ベックリー。
そのほかの、ヒット曲とよばれる曲群はイマイチであった。
 

1982年の「風のマジック(You Can Do Magic)」は US Radio & Recordsで最高 3位だったので、ベストヒットUSAでよく見た記憶がある。外部の曲だが、サビの部分は印象的だった。


CSN&Yのコーラスにはもったいぶった感じがある。アメリカには素直でさわやかさがある。
CSN&Yのメンバーは全員キャリアが長く、ストレートな表現では納得いかなかったのだろう。


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